誉田別命
誉田別命(ほんだわけのみこと)は、第15代・応神天皇の神霊とされる神さまで、八幡さま(八幡神)そのものです。『日本書紀』では誉田天皇、『古事記』では品陀和氣命と記され、母の神功皇后が新羅から帰還したのちに筑紫で生まれたと伝えられます。在位中は弓月君・王仁ら渡来の人びとを迎えて文物を広めたとされ、のちに武運の神・国家鎮護の神として崇められました。全国の八幡宮・八幡神社の主祭神であり、日本でもっとも広く祀られている神さまのひとつです。
誉田別命の基本情報
『日本書紀』は誉田天皇、『古事記』は品陀和氣命と記します。呼び名がいくつもあるのは、天皇としての名と、神として祀られてからの名が重なっているためです。
誉田別命の系譜
父は仲哀天皇、母は神功皇后。八幡宮が母と子を並べて祀るのは、この血縁がそのまま祭祀の構成になっているからです。
弓矢の神、そして開運の神
誉田別命のなりたち集まる
「八幡神=応神天皇」は、はじめからあった等式ではありません。『古事記』『日本書紀』『続日本紀』に八幡神を応神天皇とする記述は見られず、『東大寺要録』などにその同一視が現れることから、奈良時代から平安時代にかけて習合が進んだとする説があります。
八幡大菩薩 — 神でありながら菩薩号を持つ
八幡神は早くから仏教と結びつき、天応元年(781年)には朝廷から菩薩号を贈られて「八幡大菩薩」と呼ばれました。神が菩薩号を持つのは神仏習合を象徴する出来事で、僧の姿で表した「僧形八幡神」の像もつくられています。明治の神仏分離によって菩薩号は公には用いられなくなりましたが、扁額や古文書にその名残を見ることができます。
誉田別命の変遷 — 役割とご利益の移り変わり変わる
欽明天皇の時代、大神比義命によって宇佐の地に祀られたと伝わる。農耕の神または海の神とされる
東大寺大仏の造立に協力を託宣して上京。天応元年(781年)に菩薩号を贈られ、各地の寺の鎮守として勧請が広がる
宇佐の在来の神にはじまり、仏法守護・国家鎮護・武運と、時代の担い手が変わるたびに願われるものも変わってきました。
誉田別命を祀る神社(掲載132社のうち79社)
総本宮・社格・称号の順に16社を表示しています。
谷地八幡宮・亀山八幡宮・琴崎八幡宮・日牟禮八幡宮・平塚八幡宮・八幡朝見神社・厳原八幡宮神社・平濱八幡宮・大宮八幡宮・宇美八幡宮・甲宗八幡神社・飛幡八幡宮・曩祖八幡宮・井草八幡宮・伊佐爾波神社・水戸八幡宮・吉川八幡宮・鎮守府八幡宮・生目神社・離宮八幡宮・玉村八幡宮・琴弾八幡宮・若宮八幡宮(高知市)・古尾谷八幡神社・北野天神社(所沢市)・亀山八幡神社・武田八幡宮・金澤八幡宮・日吉八幡神社・府八幡宮・飯香岡八幡宮・百舌鳥八幡宮・誉田八幡宮・富岡八幡宮・下野國一社八幡宮・手向山八幡宮・放生津八幡宮・大塩八幡宮・蒲生八幡神社(北九州市)・大分八幡宮・飯野八幡宮・柏原八幡宮・木本八幡宮・大崎八幡宮・若宮八幡宮社・三条八幡宮・叶神社・鶴嶺八幡宮・櫛引八幡宮・吉川八幡神社・有川神社・金王八幡宮・六郷神社・宇佐八幡神社(神山町)・篠村八幡宮・富岡八幡宮(横浜)・壺井八幡宮・奥澤神社・下高井戸浜田山八幡神社・坂本八幡宮・安里八幡宮・福山八幡宮・富賀岡八幡宮
※ 並び順は旧社格(1946年に廃止された近代の格付け)と、総本宮・一宮などの称号にもとづくものです。格の高さがご利益の大きさを表すものではありません。
誉田別命のよくある質問
誉田別命と応神天皇は同じ神さまですか?▾
どんなご利益がありますか?▾
なぜ全国の八幡宮で祀られているのですか?▾
八幡三神とは誰のことですか?▾
関連する読み物
- 生没年・在位年は記紀の伝承にもとづく記述で、実年代は推定です(4世紀後半〜5世紀初頭ごろとされます)。
- 八幡神=応神天皇とする理解が広まった時期については諸説があります。