⛩ やしろめぐりyashiromeguri

誉田別命

ほんだわけのみこと
八幡信仰 の主祭神歴史上の人物の神格化

誉田別命(ほんだわけのみこと)は、第15代・応神天皇の神霊とされる神さまで、八幡さま(八幡神)そのものです。『日本書紀』では誉田天皇、『古事記』では品陀和氣命と記され、母の神功皇后が新羅から帰還したのちに筑紫で生まれたと伝えられます。在位中は弓月君・王仁ら渡来の人びとを迎えて文物を広めたとされ、のちに武運の神・国家鎮護の神として崇められました。全国の八幡宮・八幡神社の主祭神であり、日本でもっとも広く祀られている神さまのひとつです。

誉田別命の基本情報

『日本書紀』は誉田天皇、『古事記』は品陀和氣命と記します。呼び名がいくつもあるのは、天皇としての名と、神として祀られてからの名が重なっているためです。

別の表記
応神天皇/誉田別尊/品陀和氣命
『日本書紀』『古事記』ほか。八幡神・八幡大神とも
神格
武運・弓矢の神
勝運・出世開運・厄除け。文教・殖産の祖ともされる
系統
八幡信仰の主祭神
総本宮
宇佐神宮
大分県宇佐市
神使
鳩
御代
第15代天皇
4世紀後半〜5世紀初頭ごろの在位と推定される

誉田別命の系譜

父は仲哀天皇、母は神功皇后。八幡宮が母と子を並べて祀るのは、この血縁がそのまま祭祀の構成になっているからです。

系譜(血縁)
子
子
この神誉田別命ほんだわけのみこと
血縁× 夫婦※ 祖父母は父方・母方をまとめて表示しています。続柄は出典にもとづく図示で、伝承上の関係を含みます

弓矢の神、そして開運の神

八幡さまが授けるとされるのは、まず武運と勝運です。弓矢の神として武家の信仰を集めたことから、いまも必勝祈願・厄除け・出世開運の神として親しまれています。加えて応神天皇の御代には、弓月君や王仁といった渡来の人びとが技術と学問をもたらしたと伝えられ、ものづくり・文教・殖産の守り神という一面もあります。母である神功皇后とあわせて祀られることが多く、安産・子育ての祈願で訪れる人も少なくありません。

誉田別命のなりたち集まる

在来の神・土地の神仏教・外来実在の人物
宇佐の在来の神
農耕の神または海の神とされ、柳田國男は鍛冶の神ではないかと考察しています
渡来の神という伝え
『豊前国風土記』逸文には、新羅の神が渡り来て香春の地に住んだと記されます
応神天皇の神霊
欽明天皇32年(571年)に「誉田天皇広幡八幡麿」と称して現れたと社伝は伝えます
八幡大菩薩
天応元年(781年)に朝廷から菩薩号が贈られ、仏教守護の神とされました
八幡神=誉田別命・応神天皇

「八幡神=応神天皇」は、はじめからあった等式ではありません。『古事記』『日本書紀』『続日本紀』に八幡神を応神天皇とする記述は見られず、『東大寺要録』などにその同一視が現れることから、奈良時代から平安時代にかけて習合が進んだとする説があります。

※ 合流の経緯には諸説があり、代表的な説にもとづく模式図です。

八幡大菩薩 — 神でありながら菩薩号を持つ

八幡神は早くから仏教と結びつき、天応元年(781年)には朝廷から菩薩号を贈られて「八幡大菩薩」と呼ばれました。神が菩薩号を持つのは神仏習合を象徴する出来事で、僧の姿で表した「僧形八幡神」の像もつくられています。明治の神仏分離によって菩薩号は公には用いられなくなりましたが、扁額や古文書にその名残を見ることができます。

同一の神とされる=八幡大菩薩

誉田別命の変遷 — 役割とご利益の移り変わり変わる

6世紀(伝)

欽明天皇の時代、大神比義命によって宇佐の地に祀られたと伝わる。農耕の神または海の神とされる

749〜781

東大寺大仏の造立に協力を託宣して上京。天応元年(781年)に菩薩号を贈られ、各地の寺の鎮守として勧請が広がる

仏法守護
859〜

石清水八幡宮に勧請され、都を守る。承平天慶の乱の平定後は国家鎮護の神としての崇敬が高まる

11世紀〜

清和源氏が氏神として崇敬。源頼朝が鎌倉に迎えると御家人たちも各地の領内へ勧請し、武神としての信仰が全国に広がる

明治〜現代

神仏分離により菩薩号は公に用いられなくなる。いまは勝運・厄除け・出世開運の神として親しまれる

宇佐の在来の神にはじまり、仏法守護・国家鎮護・武運と、時代の担い手が変わるたびに願われるものも変わってきました。

※ 年代・区分は伝承や研究にもとづく大づかみの図示です。

なぜ武家は八幡神を選んだのか

八幡神を武神として広めた立役者は、清和源氏でした。源義家は石清水八幡宮の神前で元服して「八幡太郎義家」と名乗り、東国での戦いで武名を高めます。のちに源頼朝が鎌倉に鶴岡八幡宮を据えて武家政権の守護神とすると、御家人たちも競うように自領へ八幡神を勧請しました。応神天皇という「実在した大王」の神霊であることが、家の由緒を語りたい武士たちにとって都合がよかったともいわれます。こうして八幡宮は鎌倉から戦国期にかけて全国へ広がりました。

誉田別命を祀る神社(掲載132社のうち79社)

総本宮・社格・称号の順に16社を表示しています。

宇佐神宮八幡総本宮別表神社豊前国一宮勅祭社
うさじんぐう ・ 大分県 ・ 官幣大社詳しく →
石清水八幡宮二所宗廟別表神社二十二社勅祭社
いわしみずはちまんぐう ・ 京都府 ・ 官幣大社詳しく →
鹿児島神宮別表神社大隅国一宮
かごしまじんぐう ・ 鹿児島県 ・ 官幣大社詳しく →
筥崎宮日本三大八幡別表神社筑前国一宮
はこざきぐう ・ 福岡県 ・ 官幣大社詳しく →
新田神社薩摩国一宮別表神社
にったじんじゃ ・ 鹿児島県 ・ 国幣中社詳しく →
函館八幡宮別表神社
はこだてはちまんぐう ・ 北海道 ・ 国幣中社詳しく →
鶴岡八幡宮
つるがおかはちまんぐう ・ 神奈川県 ・ 国幣中社詳しく →
藤崎八旛宮別表神社
ふじさきはちまんぐう ・ 熊本県 ・ 国幣小社詳しく →
千栗八幡宮肥前国一宮別表神社
ちりくはちまんぐう ・ 佐賀県 ・ 国幣小社詳しく →
柞原八幡宮豊後国一宮別表神社
ゆすはらはちまんぐう ・ 大分県 ・ 国幣小社詳しく →
若宮八幡社(名古屋市)別表神社
わかみやはちまんしゃ ・ 愛知県 ・ 県社詳しく →
盛岡八幡宮別表神社
もりおかはちまんぐう ・ 岩手県 ・ 県社詳しく →
桜山八幡宮別表神社
さくらやまはちまんぐう ・ 岐阜県 ・ 県社詳しく →
亀山神社別表神社
かめやまじんじゃ ・ 広島県 ・ 県社詳しく →
鮎貝八幡宮別表神社
あゆかいはちまんぐう ・ 山形県 ・ 県社詳しく →
寒河江八幡宮別表神社
さがえはちまんぐう ・ 山形県 ・ 県社詳しく →
このほかの掲載社

谷地八幡宮・亀山八幡宮・琴崎八幡宮・日牟禮八幡宮・平塚八幡宮・八幡朝見神社・厳原八幡宮神社・平濱八幡宮・大宮八幡宮・宇美八幡宮・甲宗八幡神社・飛幡八幡宮・曩祖八幡宮・井草八幡宮・伊佐爾波神社・水戸八幡宮・吉川八幡宮・鎮守府八幡宮・生目神社・離宮八幡宮・玉村八幡宮・琴弾八幡宮・若宮八幡宮(高知市)・古尾谷八幡神社・北野天神社(所沢市)・亀山八幡神社・武田八幡宮・金澤八幡宮・日吉八幡神社・府八幡宮・飯香岡八幡宮・百舌鳥八幡宮・誉田八幡宮・富岡八幡宮・下野國一社八幡宮・手向山八幡宮・放生津八幡宮・大塩八幡宮・蒲生八幡神社(北九州市)・大分八幡宮・飯野八幡宮・柏原八幡宮・木本八幡宮・大崎八幡宮・若宮八幡宮社・三条八幡宮・叶神社・鶴嶺八幡宮・櫛引八幡宮・吉川八幡神社・有川神社・金王八幡宮・六郷神社・宇佐八幡神社(神山町)・篠村八幡宮・富岡八幡宮(横浜)・壺井八幡宮・奥澤神社・下高井戸浜田山八幡神社・坂本八幡宮・安里八幡宮・福山八幡宮・富賀岡八幡宮

都道府県からしぼり込む
すべて見る(79社)→

※ 並び順は旧社格(1946年に廃止された近代の格付け)と、総本宮・一宮などの称号にもとづくものです。格の高さがご利益の大きさを表すものではありません。

誉田別命のよくある質問

誉田別命と応神天皇は同じ神さまですか?▾
同じ方を指します。「応神天皇」は奈良時代に贈られた漢風諡号で、和風の名が誉田別尊(誉田別命)・品陀和氣命です。神社では和風の名で祀られることが多く、八幡神・八幡大神とも呼ばれます。
どんなご利益がありますか?▾
弓矢・武運の神として、必勝祈願・勝運・出世開運・厄除けの信仰が篤い神さまです。渡来の文物を招いたという伝承から、学芸や産業の守り神ともされます。
なぜ全国の八幡宮で祀られているのですか?▾
総本宮の宇佐神宮から各地へ勧請(分霊)されたためです。とくに源氏をはじめとする武家が守護神として自領に迎えたことで、鎌倉期以降に急速に広がりました。
八幡三神とは誰のことですか?▾
誉田別命(応神天皇)・比売大神・息長帯比売命(神功皇后)の三柱をいいます。宇佐神宮では一之御殿から三之御殿に、それぞれ祀られています。

関連する読み物

  • 生没年・在位年は記紀の伝承にもとづく記述で、実年代は推定です(4世紀後半〜5世紀初頭ごろとされます)。
  • 八幡神=応神天皇とする理解が広まった時期については諸説があります。
最終確認日:2026-08-27