⛩ やしろめぐりyashiromeguri
かごしまじんぐう

鹿児島神宮

八幡信仰 →官幣大社鹿児島県霧島市隼人町内2496公式サイト ↗

鹿児島県霧島市に鎮座する鹿児島神宮は、官幣大社として崇敬を集めてきた神社です。重要文化財に指定された本殿や拝殿は、極彩色や龍の彫刻などの豊かな装飾が特徴で、南九州で格式高い神社として知られています。古くから島津氏の尊崇を受けてきたほか、現在は八幡神を合祀した神社としても広く親しまれています。

出典: Wikipedia(鹿児島神宮) ↗

祈祷受付
午前8時30分より午後4時30分迄
授与所
未確認
初穂料・御朱印
未確認
アクセス
隼人駅 徒歩約14分(約1.1km・直線距離)

基本情報

所在地鹿児島県霧島市隼人町内2496
御祭神彦火火出見尊・誉田別命(通称 応神天皇)・息長帯比売命(通称 神功皇后)・仲哀天皇
創建神代(伝)
旧社格官幣大社
信仰系統八幡信仰
勧請元未確認
創建者未確認

鹿児島神宮の御祭神

鹿児島神宮の御祭神は彦火火出見尊・誉田別命(通称 応神天皇)・息長帯比売命(通称 神功皇后)・仲哀天皇の4柱です。

祭祀構成 — 八幡信仰の標準

系統の標準構成に、この社の御祭神を対応づけています。

この社の相殿・合祀
系譜(血縁) — 誉田別命の血筋

誉田別命を中心に、系譜上の血縁を並べたものです。仲哀天皇は系譜上の関係で、上の祭祀構成には含まれません。

親
子
主祭神相殿など祭祀構成外(系譜のみ)✓ =この神社の御祭神 / 淡色=この神社では確認なし× 夫婦同一の神とされる

彦火火出見尊

ひこほほでみのみことこの神さまを詳しく →

八幡信仰の標準的な祭神構成には含まれない御祭神です。

誉田別命

ほんだわけのみこと通称 応神天皇この神さまを詳しく →

八幡神そのもの。弓矢の神・武運と勝運、出世開運・厄除けの神。大陸の文化を招いた文教・殖産の祖ともされます。

息長帯比売命

おきながたらしひめのみこと通称 神功皇后この神さまを詳しく →

応神天皇の母。三韓征伐から帰還して応神を出産したという伝承から、安産・子育ての神として信仰されます。

仲哀天皇

ちゅうあいてんのうこの神さまを詳しく →

誉田別命の親として系譜に伝わります。

八幡信仰の祭神と系譜を見る →

ご利益 (出典つき)

アクセス

所在地
鹿児島県霧島市隼人町内2496
最寄駅
隼人駅 徒歩約14分(約1.1km・直線距離)
開門・参拝時間
参拝時間 8時30分〜17時
駐車場
無料駐車場350台
出典kagoshima-jingu.jp ↗(2026-07-25 確認)
時間・料金は変動します。参拝前に公式サイトでご確認ください。

祈祷・授与所

祈祷受付時間
午前8時30分より午後4時30分迄
授与所
未確認
出典kagoshima-jingu.jp ↗(2026-07-25 確認)
時間・料金は変動します。参拝前に公式サイトでご確認ください。

鹿児島神宮の由緒

高千穂宮の跡に — 山幸彦を祀る社

社伝は、創始を遠く神代のこととし、あるいは神武天皇の御代に天津日高彦火火出見尊(あまつひだかひこほほでみのみこと=山幸彦)の宮殿であった高千穂宮を神社としたものと伝えます。和銅元年(708年)に現在地へ遷座し、旧社地には摂社の石體神社(石体宮)が鎮座しています。北西13kmの地点には、彦火火出見尊の御陵とされる高屋山上陵があります。確かな史料での初出は『延喜式神名帳』の「大隅国桑原郡 鹿児嶋神社」で、大社に列しており、日向・大隅・薩摩のいわゆる南九州で唯一の式内大社です。

大隅正八幡宮 — 八幡の根本社という伝え

平安時代、宇佐八幡が九州五所の八幡別宮を勧請したのに伴い、当社にも八幡神が合祀されたとされます。以後「正八幡宮」「大隅正八幡宮」「国分八幡宮」などとも称されました。相殿に仲哀天皇・神功皇后・応神天皇・仲姫命の四柱を祀るのはこの合祀によるものです。平安時代後期の『今昔物語集』には、八幡神は大隅国に現れ、次に宇佐に遷り、ついに石清水に跡を垂れたと記されています。「正八幡」の名が示すように八幡宮の根本社だという伝えもあり、宇佐との間で正統を争ったという十三塚原の伝承も残ります。

島津氏の崇敬と現在の社殿

建久年間(1190〜1199年)には社領2500余町歩を有し、江戸末期まで千石を保ちました。大永7年(1527年)に兵火で焼失しますが、天文20年(1551年)に後奈良天皇の綸旨を得た島津貴久が日秀上人に再興を命じ、永禄3年(1560年)に新造の社殿へ遷宮しています。現在の社殿は、白蟻の被害を受けた慶長6年(1601年)造営の社殿に代わり、宝暦5年(1755年)に島津重年の寄進で起工され、翌年に重豪の代で竣工したもの。明治7年(1874年)に神宮号を宣下され、明治28年(1895年)に官幣大社へ昇格しました。

奉納された甲冑と、帰ってきた刀

島津氏の崇敬の篤さは、伝わる宝物にも表れています。重要文化財の紺糸威鎧は島津家家老・樺山幸久の奉納、色々威胴丸二領は永禄元年(1558年)に島津貴久が奉納したものです。刀剣のうち二口は第二次世界大戦後の進駐軍による接収で所在が分からなくなっていましたが、「刀 銘相州住秋広 明徳三」はオークションへの出品で発見され、平成15年(2003年)に神社が買い戻しました。「刀 無銘(伝則重)」も、令和4年(2022年)に特徴の一致する刀がオーストラリアで見つかっています。境内の隼人歴史民俗資料館では、こうした社宝のほか隼人町域の考古資料や鈴かけ馬踊りの資料を見ることができます。

見どころ

重要文化財の社殿
本殿及び拝殿・勅使殿・摂社四所神社本殿が2022年(令和4年)に重要文化財へ指定されました。勅使殿を社殿の入口とし、北へ拝殿・本殿が並ぶ構成です。
爪が四本の龍柱
本殿向拝の柱には龍の彫刻が巻きつきます。この龍柱の爪は4本で、龍柱を持つ南九州の他の神社が3本爪であるのに比べて異彩を放っています。
木村探元の壁画
本殿は規模が極めて大きく、薩摩藩の画家・木村探元の壁画や彫刻で全体が飾られ、極彩色と漆塗りで仕上げられています。拝殿には天井画があります。
初午祭と鈴かけ馬
旧暦1月18日(近年は近い日曜)の初午祭では、鈴をかけた馬が踊る「鈴かけ馬踊り」が奉納されます。「薩摩の馬踊りの習俗」は国の選択無形民俗文化財です。
元宮・石體神社
和銅元年に遷座する前の社地に鎮座するのが石體神社で、高千穂宮の正殿があった場所と伝えられます。
樹齢約800年の御神木
建久年間の植樹と伝わる御神木が境内に立ちます。境内は「大隅正八幡宮境内及び社家跡」として国の史跡に指定されています。

年中行事 (主なもの)

1月7日
七種祭
旧暦1月18日(近年は近い日曜)
初午祭
鈴かけ馬踊りが奉納される。「薩摩の馬踊りの習俗」は国の選択無形民俗文化財
旧暦3月10日
藤祭
旧暦5月5日
御田植祭
旧暦8月15日
例祭
10月第3日曜
御浜下り祭

※ 日程は年によって変わることがあります。参拝の予定を立てる際は公式サイトでご確認ください。

八幡信仰のひろがり — 鹿児島神宮の勧請元は未確認

鹿児島神宮がどの社から御分霊を迎えたのか(勧請元)は、当サイトでは確認できていません。以下は八幡信仰が各地へ広がった代表的なながれで、鹿児島神宮のルーツを示すものではありません。創建の年代と経緯は、このページの「基本情報」と紹介文に記しています。

559
伝・欽明天皇勅願
誉田八幡宮大阪府独立創建
応神天皇陵に隣接し、源頼朝をはじめとする歴代将軍や武家の崇敬を集め、八幡信仰が武家社会へ浸透する拠点となった。
725
伝
宇佐神宮大分県総本宮
全国に約44,000社ある八幡宮の総本社。古くから皇室の崇敬を受け、神託を通じて中央政界とも深く関わりながら、八幡信仰の拠り所として繁栄した。
726
伝
大分八幡宮福岡県主要分社
726年創建。筥崎宮の元宮であり、遷座後も九州五所別宮の第一社として八幡信仰の拠点的な役割を担い続けた。
802
伝
鎮守府八幡宮岩手県主要分社
802年頃、坂上田村麻呂により東北の鎮守府へ勧進された、八幡信仰の北限を示す主要分社。
859
貞観元年
石清水八幡宮京都府主要分社
武神として源氏の崇敬を集め、その広がりとともに各地へ分霊が勧請された。
1063
康平6年
鶴岡八幡宮神奈川県主要分社
源頼朝が鎌倉に遷座し幕府の中枢を整備したことで、武家の崇敬を集め関東における八幡信仰の拠点となった。
※ 系譜・年代は代表的な伝承にもとづく図示です。

八幡信仰のルーツを詳しく見る →

鹿児島神宮のよくある質問

鹿児島神宮はどんな神社ですか?▾
大隅国一宮で、旧社格は官幣大社。南九州で唯一の式内大社です。かつては「大隅正八幡宮」「国分八幡宮」とも称され、山幸彦(天津日高彦火火出見尊)とその后・豊玉比売命を主祭神とします。
八幡宮なのに主祭神が応神天皇ではないのはなぜですか?▾
もともとは山幸彦を祀る社で、平安時代に八幡神が合祀されたためです。応神天皇・神功皇后・仲哀天皇・仲姫命の四柱は相殿神として祀られています。
「正八幡」とはどういう意味ですか?▾
八幡宮の根本社であるという伝えにもとづく呼び名です。『今昔物語集』は八幡神が大隅国に現れ、次に宇佐、ついに石清水へ遷ったと記しています。ただしこれは伝承であり、当サイトでは八幡信仰の総本宮は宇佐神宮として扱っています。
初午祭とはどんなお祭りですか?▾
旧暦1月18日(近年は近い日曜)に行われる祭で、鈴をかけた馬が太鼓や三味線に合わせて踊る「鈴かけ馬踊り」が奉納されます。
  • 創始を神代・神武天皇の御代とするのは社伝にもとづく伝承で、確定した年代ではありません。
  • 「大隅正八幡宮こそ八幡の根本社」とする伝えは中世の説話にもとづくもので、宇佐神宮を総本宮とする一般的な理解とは異なります。
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情報最終確認日: 2026-08-27 出典: Wikipedia・Wikidata・国土地理院・各社公式サイト等