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息長帯比売命

おきながたらしひめのみこと
八幡信仰 の相殿祀る神社 17歴史上の人物の神格化

息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)は、第14代・仲哀天皇の皇后で、のちに神功皇后と諡された女性です。『日本書紀』では気長足姫尊と記されます。夫の急死ののち、身重のまま海を渡って新羅へ向かったという三韓征伐の伝承で知られ、帰還後に筑紫で応神天皇を出産したと伝えられます。母として、また摂政として国を治めたその姿から、安産・子育て・武運の神として全国の八幡宮に祀られています。

息長帯比売命の基本情報

別の表記
神功皇后/気長足姫尊/大帯比売命
『日本書紀』『古事記』『播磨国風土記』ほか
神格
安産・子育ての神
武運・海上安全の信仰も篤い
系統
八幡信仰の相殿神
八幡三神の一柱
父母
息長宿禰王・葛城高顙媛
仲哀天皇
誉田別命(応神天皇)

息長帯比売命の系譜

系譜(血縁)
この神息長帯比売命おきながたらしひめのみこと×夫婦配偶者仲哀天皇ちゅうあいてんのう
血縁× 夫婦※ 祖父母は父方・母方をまとめて表示しています。続柄は出典にもとづく図示で、伝承上の関係を含みます

母神としての信仰

神功皇后への信仰の中心にあるのは「無事に子を産み、育てあげた母」という姿です。遠征のあいだ石を腰に当てて出産を延ばしたという鎮懐石の伝承などから、安産・子授け・子育ての祈願を受ける神さまとして親しまれてきました。加えて、夫の遺志を継いで軍を率いたという伝承から、武運・海上安全の神ともされます。八幡宮では応神天皇と並んで祀られ、母子の神としてひとつの信仰を形づくっています。

「聖母」と呼ばれた皇后

『日本書紀』は、仲哀天皇の崩御ののち、神功皇后が熊襲を平定し、さらに海を越えて新羅へ攻め入ったと記します。帰還した翌年、麛坂皇子・忍熊皇子との戦いに勝って都へ凱旋し、皇太后・摂政として政務を執りました。子の誉田別尊が即位するまで国を支えたことから「聖母(しょうも)」とも呼ばれます。明治期までは第15代天皇・初の女帝として数える史書もありましたが、大正15年(1926年)の皇統譜令に基づく皇統譜で、正式に歴代天皇から外されました。

息長帯比売命を祀る神社(17社)

総本宮・社格・称号の順に、代表的な16社を表示しています。

※ 並び順は旧社格(1946年に廃止された近代の格付け)と、総本宮・一宮などの称号にもとづくものです。格の高さがご利益の大きさを表すものではありません。

息長帯比売命にゆかりの神

息長帯比売命のよくある質問

息長帯比売命と神功皇后は同じ方ですか?
同じ方です。「神功皇后」は奈良時代に贈られた漢風諡号で、『古事記』では息長帯比売命、『日本書紀』では気長足姫尊と記されます。
どんなご利益がありますか?
安産・子授け・子育ての神として知られます。三韓征伐の伝承から、武運・勝運・海上安全の祈願を受ける社もあります。
神功皇后は天皇だったのですか?
明治期までは第15代天皇・初の女帝として扱う史書もありましたが、大正15年(1926年)の皇統譜令に基づく皇統譜で歴代天皇から外され、現在は皇后・摂政として扱われます。

関連するページ

  • 三韓征伐をはじめとする事績は記紀の伝承にもとづくもので、史実性については議論があります。
  • 『日本書紀』の年代と「魏志倭人伝」の卑弥呼の生涯には約120年の差があると指摘されています。
最終確認日:2026-07-20