「聖母」と呼ばれた皇后
『日本書紀』は、仲哀天皇の崩御ののち、神功皇后が熊襲を平定し、さらに海を越えて新羅へ攻め入ったと記します。帰還した翌年、麛坂皇子・忍熊皇子との戦いに勝って都へ凱旋し、皇太后・摂政として政務を執りました。子の誉田別尊が即位するまで国を支えたことから「聖母(しょうも)」とも呼ばれます。明治期までは第15代天皇・初の女帝として数える史書もありましたが、大正15年(1926年)の皇統譜令に基づく皇統譜で、正式に歴代天皇から外されました。
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)は、第14代・仲哀天皇の皇后で、のちに神功皇后と諡された女性です。『日本書紀』では気長足姫尊と記されます。夫の急死ののち、身重のまま海を渡って新羅へ向かったという三韓征伐の伝承で知られ、帰還後に筑紫で応神天皇を出産したと伝えられます。母として、また摂政として国を治めたその姿から、安産・子育て・武運の神として全国の八幡宮に祀られています。
「神功皇后」は奈良時代に贈られた漢風諡号です。『古事記』は息長帯比売命、『日本書紀』は気長足姫尊と記し、社によって掲げる表記が異なります。
夫は仲哀天皇、子は応神天皇。八幡宮に母子で祀られるのはこの関係によるもので、父の息長宿禰王は開化天皇の子孫と伝えられます。
総本宮・社格・称号の順に16社を表示しています。
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※ 並び順は旧社格(1946年に廃止された近代の格付け)と、総本宮・一宮などの称号にもとづくものです。格の高さがご利益の大きさを表すものではありません。