とびはたはちまんぐう
飛幡八幡宮
飛幡八幡宮は、建久年間に宇都宮重業が自身の出身地から氏神である八幡神を勧請し、花尾城の鬼門にあたる枝光村宮田山に祀ったことを起源とします。その後、戸畑村へ遷座され産土神として信仰を集め、江戸時代には藩主黒田家の祈願所として崇敬を受けました。1995年には現在の名称へ改称され、現在は旧県社として地域を見守っています。境内では、国の重要無形民俗文化財に指定された戸畑祇園大山笠が行われており、これは享和2年の疫病流行時に、神社の須佐之男命へ平癒を祈願したことが起源とされています。このように歴史ある境内において、祭神として息長帯比売命、誉田別命、素戔嗚尊、比売大神が祀られています。
祈祷受付
未確認
授与所
未確認
初穂料・御朱印
未確認
アクセス
戸畑駅 徒歩約10分(約760m・直線距離)
基本情報
飛幡八幡宮の御祭神
飛幡八幡宮の御祭神は息長帯比売命(通称 神功皇后)・誉田別命(通称 応神天皇)・素戔嗚尊・比売大神の4柱です。
祭祀構成 — 八幡信仰の標準
系統の標準構成に、この社の御祭神を対応づけています。
この社の相殿・合祀
系譜(血縁) — 誉田別命の血筋
誉田別命を中心に、系譜上の血縁を並べたものです。仲哀天皇は系譜上の関係で、上の祭祀構成には含まれません。
親
子
主祭神相殿など祭祀構成外(系譜のみ)✓ =この神社の御祭神 / 淡色=この神社では確認なし× 夫婦同一の神とされる
応神天皇の母。三韓征伐から帰還して応神を出産したという伝承から、安産・子育ての神として信仰されます。
八幡神そのもの。弓矢の神・武運と勝運、出世開運・厄除けの神。大陸の文化を招いた文教・殖産の祖ともされます。
八幡信仰の標準的な祭神構成には含まれない御祭神です。
多くは宗像三女神(多岐津姫・市杵嶋姫・多紀理姫)と同一視されます。玉依姫とする社もあり、その正体には諸説があります。
ご利益 (出典つき)
アクセス
所在地
福岡県北九州市戸畑区浅生2丁目2-2
福岡県北九州市戸畑区浅生2丁目2-2
最寄駅
戸畑駅 徒歩約10分(約760m・直線距離)
戸畑駅 徒歩約10分(約760m・直線距離)
駐車場
未確認
未確認
八幡信仰のひろがり — 飛幡八幡宮の勧請元は未確認
飛幡八幡宮がどの社から御分霊を迎えたのか(勧請元)は、当サイトでは確認できていません。以下は八幡信仰が各地へ広がった代表的なながれで、飛幡八幡宮のルーツを示すものではありません。創建の年代と経緯は、このページの「基本情報」と紹介文に記しています。
559
伝・欽明天皇勅願
応神天皇陵に隣接し、源頼朝をはじめとする歴代将軍や武家の崇敬を集め、八幡信仰が武家社会へ浸透する拠点となった。
725
伝
全国に約44,000社ある八幡宮の総本社。古くから皇室の崇敬を受け、神託を通じて中央政界とも深く関わりながら、八幡信仰の拠り所として繁栄した。
726
伝
726年創建。筥崎宮の元宮であり、遷座後も九州五所別宮の第一社として八幡信仰の拠点的な役割を担い続けた。
802
伝
802年頃、坂上田村麻呂により東北の鎮守府へ勧進された、八幡信仰の北限を示す主要分社。
859
貞観元年
武神として源氏の崇敬を集め、その広がりとともに各地へ分霊が勧請された。
1063
康平6年
源頼朝が鎌倉に遷座し幕府の中枢を整備したことで、武家の崇敬を集め関東における八幡信仰の拠点となった。
※ 系譜・年代は代表的な伝承にもとづく図示です。
この神社の関係者の方へ
公式ページとして認証すれば、この情報を無料で編集・公開できます。祈祷の受付時間や御朱印の案内も、変更のたびに更新できます。
情報最終確認日: 2026-08-27 出典: Wikipedia・Wikidata・国土地理院・各社公式サイト等