こんだはちまんぐう
誉田八幡宮
大阪府羽曳野市に鎮座する誉田八幡宮は、559年の創建と伝わる最古の八幡宮です。源頼朝や豊臣秀頼など歴代の武家から篤く崇敬され、慶長11年に秀頼が再建した本殿や中門などの貴重な建築が現存しています。正月には地元特産の赤ワインで振る舞われる「日の丸神酒」も有名で、歴史の息吹を感じながら穏やかな参拝のひとときをお過ごしいただけます。
祈祷受付
未確認
授与所
未確認
初穂料・御朱印
未確認
アクセス
古市駅 徒歩約9分(約650m・直線距離)
基本情報
所在地大阪府羽曳野市誉田
創建559年(伝・欽明天皇勅願)
旧社格府社
信仰系統八幡信仰
勧請元未確認
創建者源頼朝
誉田八幡宮の御祭神
誉田八幡宮の御祭神は誉田別命(通称 応神天皇)・息長帯比売命(通称 神功皇后)・玉依姫命・木花之佐久夜毘売・仲哀天皇の5柱です。
祭祀構成 — 八幡信仰の標準
系統の標準構成に、この社の御祭神を対応づけています。
系譜(血縁) — 誉田別命の血筋
誉田別命を中心に、系譜上の血縁を並べたものです。仲哀天皇は系譜上の関係で、上の祭祀構成には含まれません。
親
子
主祭神相殿など祭祀構成外(系譜のみ)✓ =この神社の御祭神 / 淡色=この神社では確認なし× 夫婦同一の神とされる
八幡神そのもの。弓矢の神・武運と勝運、出世開運・厄除けの神。大陸の文化を招いた文教・殖産の祖ともされます。
応神天皇の母。三韓征伐から帰還して応神を出産したという伝承から、安産・子育ての神として信仰されます。
八幡信仰の標準的な祭神構成には含まれない御祭神です。
八幡信仰の標準的な祭神構成には含まれない御祭神です。
誉田別命の親として系譜に伝わります。
ご利益 (出典つき)
アクセス
所在地
大阪府羽曳野市誉田
大阪府羽曳野市誉田
最寄駅
古市駅 徒歩約9分(約650m・直線距離)
古市駅 徒歩約9分(約650m・直線距離)
駐車場
未確認
未確認
近くの神社
道明寺天満宮どうみょうじてんまんぐう詳しく →
大阪府藤井寺市・徒歩約16分(約1.3km・直線距離)
野々上八幡神社ののうえはちまんじんじゃ詳しく →
大阪府羽曳野市・徒歩約23分(約1.8km・直線距離)
当サイトに掲載している神社のうち、直線距離で約3km以内のものです。付近の神社のすべてではありません。
八幡信仰のひろがり
以下は八幡信仰が各地へ広がった代表的なながれで、誉田八幡宮一社の勧請の来歴をたどったものではありません。誉田八幡宮はこのながれのなかに現れます。
559
伝・欽明天皇勅願
誉田八幡宮大阪府このページの神社独立創建
応神天皇陵に隣接し、源頼朝をはじめとする歴代将軍や武家の崇敬を集め、八幡信仰が武家社会へ浸透する拠点となった。
725
伝
全国に約44,000社ある八幡宮の総本社。古くから皇室の崇敬を受け、神託を通じて中央政界とも深く関わりながら、八幡信仰の拠り所として繁栄した。
726
伝
726年創建。筥崎宮の元宮であり、遷座後も九州五所別宮の第一社として八幡信仰の拠点的な役割を担い続けた。
802
伝
802年頃、坂上田村麻呂により東北の鎮守府へ勧進された、八幡信仰の北限を示す主要分社。
859
貞観元年
武神として源氏の崇敬を集め、その広がりとともに各地へ分霊が勧請された。
1063
康平6年
源頼朝が鎌倉に遷座し幕府の中枢を整備したことで、武家の崇敬を集め関東における八幡信仰の拠点となった。
※ 系譜・年代は代表的な伝承にもとづく図示です。
誉田八幡宮から広がった社 (当サイト掲載分1社)
誉田八幡宮から御分霊を勧請したと伝わる神社です。勧請の年代や経緯には諸説があり、各社のページに出典を記しています。
※ 並び順は旧社格(1946年に廃止された近代の格付け)と、総本宮・一宮などの称号にもとづくものです。格の高さがご利益の大きさを表すものではありません。
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情報最終確認日: 2026-08-27 出典: Wikipedia・Wikidata・国土地理院・各社公式サイト等