⛩ やしろめぐりyashiromeguri
いさにわじんじゃ

伊佐爾波神社

八幡信仰 →県社愛媛県松山市桜谷町173公式サイト ↗

愛媛県松山市の道後山に鎮座する伊佐爾波神社は、平安時代の『延喜式神名帳』にも名を連ねる式内社です。寛文7年に松山藩主・松平定長が造営した現存の社殿は、全国に3例しかない八幡造の様式を伝えており、本殿をはじめとする建造物群が国の重要文化財に指定されています。

出典: Wikipedia(伊佐爾波神社) ↗

祈祷受付
未確認
授与所
未確認
初穂料・御朱印
未確認
アクセス
道後温泉駅 徒歩約5分(約340m・直線距離)

基本情報

所在地愛媛県松山市桜谷町173
御祭神誉田別命(通称 応神天皇)・仲哀天皇・市杵島姫命・多岐津姫命・息長帯比売命(通称 神功皇后)・多紀理毘売命
創建不詳
旧社格県社
信仰系統八幡信仰
勧請元未確認
創建者未確認

伊佐爾波神社の御祭神

伊佐爾波神社の御祭神は誉田別命(通称 応神天皇)・仲哀天皇・市杵島姫命・多岐津姫命・息長帯比売命(通称 神功皇后)・多紀理毘売命の6柱です。

祭祀構成 — 八幡信仰の標準

系統の標準構成に、この社の御祭神を対応づけています。

系譜(血縁) — 誉田別命の血筋

誉田別命を中心に、系譜上の血縁を並べたものです。仲哀天皇は系譜上の関係で、上の祭祀構成には含まれません。

親
子
主祭神相殿など祭祀構成外(系譜のみ)✓ =この神社の御祭神 / 淡色=この神社では確認なし× 夫婦同一の神とされる

誉田別命

ほんだわけのみこと通称 応神天皇この神さまを詳しく →

八幡神そのもの。弓矢の神・武運と勝運、出世開運・厄除けの神。大陸の文化を招いた文教・殖産の祖ともされます。

仲哀天皇

ちゅうあいてんのうこの神さまを詳しく →

誉田別命の親として系譜に伝わります。

市杵島姫命

いちきしまひめのみことこの神さまを詳しく →

比売大神の実体とされる宗像三女神の一柱です。

多岐津姫命

たぎつひめのみことこの神さまを詳しく →

比売大神の実体とされる宗像三女神の一柱です。

息長帯比売命

おきながたらしひめのみこと通称 神功皇后この神さまを詳しく →

応神天皇の母。三韓征伐から帰還して応神を出産したという伝承から、安産・子育ての神として信仰されます。

多紀理毘売命

たごりひめのみことこの神さまを詳しく →

比売大神の実体とされる宗像三女神の一柱です。

八幡信仰の祭神と系譜を見る →

ご利益 (出典つき)

アクセス

所在地
愛媛県松山市桜谷町173
最寄駅
道後温泉駅 徒歩約5分(約340m・直線距離)
駐車場
未確認

八幡信仰のひろがり — 伊佐爾波神社の勧請元は未確認

伊佐爾波神社がどの社から御分霊を迎えたのか(勧請元)は、当サイトでは確認できていません。以下は八幡信仰が各地へ広がった代表的なながれで、伊佐爾波神社のルーツを示すものではありません。創建の年代と経緯は、このページの「基本情報」と紹介文に記しています。

559
伝・欽明天皇勅願
誉田八幡宮大阪府独立創建
応神天皇陵に隣接し、源頼朝をはじめとする歴代将軍や武家の崇敬を集め、八幡信仰が武家社会へ浸透する拠点となった。
725
伝
宇佐神宮大分県総本宮
全国に約44,000社ある八幡宮の総本社。古くから皇室の崇敬を受け、神託を通じて中央政界とも深く関わりながら、八幡信仰の拠り所として繁栄した。
726
伝
大分八幡宮福岡県主要分社
726年創建。筥崎宮の元宮であり、遷座後も九州五所別宮の第一社として八幡信仰の拠点的な役割を担い続けた。
802
伝
鎮守府八幡宮岩手県主要分社
802年頃、坂上田村麻呂により東北の鎮守府へ勧進された、八幡信仰の北限を示す主要分社。
859
貞観元年
石清水八幡宮京都府主要分社
武神として源氏の崇敬を集め、その広がりとともに各地へ分霊が勧請された。
1063
康平6年
鶴岡八幡宮神奈川県主要分社
源頼朝が鎌倉に遷座し幕府の中枢を整備したことで、武家の崇敬を集め関東における八幡信仰の拠点となった。
※ 系譜・年代は代表的な伝承にもとづく図示です。

八幡信仰のルーツを詳しく見る →

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情報最終確認日: 2026-08-27 出典: Wikipedia・Wikidata・国土地理院・各社公式サイト等