幡
ひらつかはちまんぐう
平塚八幡宮
平塚八幡宮は、仁徳天皇68年にこの地方を襲った大地震に際し、天皇の勅願によって応神天皇を祭神として創建されたと伝えられる神社です。古くは「鶴峯山八幡宮」や「鎮地大神」と称され、源頼朝が北条政子の安産を祈願したほか、徳川家康が社殿の再建を命じるなど、多くの権力者から崇敬を集めてきました。現在は相模五社の一つとして国府祭に参加し、境内では平塚弁財天が「湘南ひらつか七福神めぐり」のひとつとして親しまれています。また、例大祭で行われる浜降祭では、大神輿が海岸の砂浜を練り歩く伝統的な祭事が見られます。月首祭には誰でも参列が可能であり、地域の人々が足を運ぶ場となっています。
祈祷受付
未確認
授与所
未確認
初穂料・御朱印
未確認
アクセス
平塚駅 徒歩約9分(約700m・直線距離)
基本情報
所在地神奈川県平塚市浅間町1-6
創建(伝)第16代仁徳天皇68年
旧社格県社
信仰系統八幡信仰
創建者未確認
平塚八幡宮の御祭神
平塚八幡宮の御祭神は誉田別命(応神天皇)・息長帯比売命(神功皇后)・武内宿禰の3柱です。
祭祀構成 — 八幡信仰の標準
系統の標準構成に、この社の御祭神を対応づけています。
この社の相殿・合祀
系譜(血縁) — 誉田別命の血筋
誉田別命を中心に、系譜上の血縁を並べたものです。仲哀天皇は系譜上の関係で、上の祭祀構成には含まれません。
親
子
主祭神相殿など祭祀構成外(系譜のみ)✓ この社で祀る / 淡色=この社では確認なし× 夫婦同一の神とされる※ 御殿・相殿の区分(役割)はデータ整備中
八幡神そのもの。弓矢の神・武運と勝運、出世開運・厄除けの神。大陸の文化を招いた文教・殖産の祖ともされます。
応神天皇の母。三韓征伐から帰還して応神を出産したという伝承から、安産・子育ての神として信仰されます。
武内宿禰
この神さまを詳しく →八幡信仰の標準的な祭神構成には含まれない御祭神です。
ご利益 (出典つき)
未確認
アクセス
平塚駅 徒歩約9分(約700m・直線距離)
授与所 未確認
祈祷受付 未確認
駐車場 未確認
平塚八幡宮のルーツ — 総本山からのながれ
「この神社って、どこから来たの?」勧請元をさかのぼった流れを図で。歴史好きの寄り道に。
559
伝・欽明天皇勅願
欽明天皇の勅願により創建され、源氏や足利氏など武家の厚い信仰を集めた。八幡信仰が武家社会へ広がる中で重要な拠点としての役割を果たした。
725
伝
全国に約44,000社ある八幡宮の総本社。古代には伊勢神宮に次ぐ二所宗廟として崇敬され、八幡信仰の中心地として皇室との強い結びつきや国家的な神託を担った。
726
伝
726年創建の筥崎宮元宮であり、遷座後も九州五所別宮の第一社として八幡信仰の拠点機能を維持した。
802
伝
坂上田村麻呂が創建したと伝わり、平安京以前から東北の鎮守府へ八幡信仰が伝播していたことを示す重要拠点。
859
貞観元年
源氏の氏神として崇敬された武神であり、源氏の勢力拡大に伴い壺井八幡宮や鶴岡八幡宮など各地へ八幡神が分霊される拠点となった。
1063
康平6年
源頼朝が鎌倉幕府を開いたことで武家の崇敬を集め、東国における八幡信仰の拠点として広くその名を知らしめた。
※ 系譜・年代は代表的な伝承にもとづく図示です。
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情報最終確認日: 2026-07-27 出典: Wikipedia・Wikidata・国土地理院・各社公式サイト等