⛩ やしろめぐりyashiromeguri
ひらつかはちまんぐう

平塚八幡宮

八幡信仰 →県社神奈川県平塚市浅間町1-6公式サイト ↗

平塚八幡宮は、仁徳天皇68年にこの地方を襲った大地震に際し、天皇の勅願によって応神天皇を祭神として創建されたと伝えられる神社です。古くは「鶴峯山八幡宮」や「鎮地大神」と称され、源頼朝が北条政子の安産を祈願したほか、徳川家康が社殿の再建を命じるなど、多くの権力者から崇敬を集めてきました。現在は相模五社の一つとして国府祭に参加し、境内では平塚弁財天が「湘南ひらつか七福神めぐり」のひとつとして親しまれています。また、例大祭で行われる浜降祭では、大神輿が海岸の砂浜を練り歩く伝統的な祭事が見られます。月首祭には誰でも参列が可能であり、地域の人々が足を運ぶ場となっています。

出典: Wikipedia(平塚八幡宮) ↗

祈祷受付
未確認
授与所
未確認
初穂料・御朱印
未確認
アクセス
平塚駅 徒歩約9分(約700m・直線距離)

基本情報

所在地神奈川県平塚市浅間町1-6
御祭神誉田別命(通称 応神天皇)・息長帯比売命(通称 神功皇后)・武内宿禰
創建(伝)第16代仁徳天皇68年
旧社格県社
信仰系統八幡信仰
勧請元宇佐神宮(大分県)
創建者未確認

平塚八幡宮の御祭神

平塚八幡宮の御祭神は誉田別命(通称 応神天皇)・息長帯比売命(通称 神功皇后)・武内宿禰の3柱です。

祭祀構成 — 八幡信仰の標準

系統の標準構成に、この社の御祭神を対応づけています。

この社の相殿・合祀
系譜(血縁) — 誉田別命の血筋

誉田別命を中心に、系譜上の血縁を並べたものです。仲哀天皇は系譜上の関係で、上の祭祀構成には含まれません。

親
子
主祭神相殿など祭祀構成外(系譜のみ)✓ =この神社の御祭神 / 淡色=この神社では確認なし× 夫婦同一の神とされる

誉田別命

ほんだわけのみこと通称 応神天皇この神さまを詳しく →

八幡神そのもの。弓矢の神・武運と勝運、出世開運・厄除けの神。大陸の文化を招いた文教・殖産の祖ともされます。

息長帯比売命

おきながたらしひめのみこと通称 神功皇后この神さまを詳しく →

応神天皇の母。三韓征伐から帰還して応神を出産したという伝承から、安産・子育ての神として信仰されます。

武内宿禰

たけのうちのすくねこの神さまを詳しく →

八幡信仰の標準的な祭神構成には含まれない御祭神です。

八幡信仰の祭神と系譜を見る →

ご利益 (出典つき)

アクセス

所在地
神奈川県平塚市浅間町1-6
最寄駅
平塚駅 徒歩約9分(約700m・直線距離)
駐車場
未確認

八幡信仰のひろがり — 平塚八幡宮の勧請元は未確認

平塚八幡宮がどの社から御分霊を迎えたのか(勧請元)は、当サイトでは確認できていません。以下は八幡信仰が各地へ広がった代表的なながれで、平塚八幡宮のルーツを示すものではありません。創建の年代と経緯は、このページの「基本情報」と紹介文に記しています。

559
伝・欽明天皇勅願
誉田八幡宮大阪府独立創建
応神天皇陵に隣接し、源頼朝をはじめとする歴代将軍や武家の崇敬を集め、八幡信仰が武家社会へ浸透する拠点となった。
725
伝
宇佐神宮大分県総本宮
全国に約44,000社ある八幡宮の総本社。古くから皇室の崇敬を受け、神託を通じて中央政界とも深く関わりながら、八幡信仰の拠り所として繁栄した。
726
伝
大分八幡宮福岡県主要分社
726年創建。筥崎宮の元宮であり、遷座後も九州五所別宮の第一社として八幡信仰の拠点的な役割を担い続けた。
802
伝
鎮守府八幡宮岩手県主要分社
802年頃、坂上田村麻呂により東北の鎮守府へ勧進された、八幡信仰の北限を示す主要分社。
859
貞観元年
石清水八幡宮京都府主要分社
武神として源氏の崇敬を集め、その広がりとともに各地へ分霊が勧請された。
1063
康平6年
鶴岡八幡宮神奈川県主要分社
源頼朝が鎌倉に遷座し幕府の中枢を整備したことで、武家の崇敬を集め関東における八幡信仰の拠点となった。
※ 系譜・年代は代表的な伝承にもとづく図示です。

八幡信仰のルーツを詳しく見る →

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情報最終確認日: 2026-08-27 出典: Wikipedia・Wikidata・国土地理院・各社公式サイト等