⛩ やしろめぐりyashiromeguri

八幡大菩薩

はちまんだいぼさつ
仏(神仏習合)

八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)は、神仏習合における八幡神の呼び名です。東大寺の大仏造立に協力するという託宣が伝えられるなど、八幡神は早くから仏教と結びついており、天応元年(781年)に朝廷が宇佐八幡へ鎮護国家・仏教守護の神として菩薩号を贈りました。これにより全国の寺の鎮守神として八幡神が勧請され、八幡信仰が広がる大きな契機となります。本地垂迹の思想が広まると僧の姿で表されるようになり、これを「僧形八幡神」と呼びます。

八幡大菩薩の基本情報

八幡神に贈られた菩薩号で、指している神は誉田別命(応神天皇)と同じです。神でありながら菩薩号を持つという、神仏習合を象徴する呼び名です。

菩薩号が贈られた年
天応元年(781年)
朝廷から宇佐八幡へ
同一とされる神
八幡神(誉田別命・応神天皇)
本地仏
阿弥陀如来
日蓮はこれを否定し釈迦牟尼仏とした
姿
僧形八幡神
僧の姿で表された八幡神の像

八幡大菩薩の系譜

習合のなかで生まれた呼び名なので、血縁の記録は持ちません。系譜は、同一とされる誉田別命のページでたどれます。

血縁の記録は未確認です(マスタで裏の取れた続柄のみ図示しています)。

神でありながら菩薩号を持つ

神に菩薩号が贈られるのは、神仏習合という日本独特の信仰のかたちを象徴する出来事でした。天平勝宝元年(749年)には、東大寺の大仏建造にあたって宇佐八幡の禰宜尼・大神朝臣杜女らが上京し、八幡神が造立に協力するという託宣を伝えたと記録されています。菩薩号を得た八幡神は寺の鎮守として各地に迎えられ、神社の枠を越えて広がっていきました。

神仏分離を越えて残った呼び名

本地垂迹の思想では阿弥陀如来を八幡神の本地仏としますが、日蓮はこれを否定して本地を釈迦牟尼仏としています。明治の神仏分離により菩薩号が公に用いられることはなくなりましたが、扁額や古文書にその名残を見ることができます。平成4年(1992年)には東寺が明治元年に焼亡していた鎮守八幡宮を124年ぶりに再建し、空海が自ら彫ったと伝えられる僧形八幡神を本尊としました。現在もいくつかの八幡宮では、希望する参拝者に「八幡大菩薩」と墨書きした御朱印を授与しています。

同一の神とされる=誉田別命

八幡大菩薩を祀る神社(掲載132社のうち4社)

※ 並び順は旧社格(1946年に廃止された近代の格付け)と、総本宮・一宮などの称号にもとづくものです。格の高さがご利益の大きさを表すものではありません。

八幡大菩薩のよくある質問

八幡大菩薩と八幡神は別の神ですか?▾
同じ神を指します。「八幡大菩薩」は神仏習合における呼び名で、天応元年(781年)に朝廷から贈られた菩薩号にもとづきます。
なぜ神に菩薩号がついているのですか?▾
八幡神が早くから仏教と結びつき、鎮護国家・仏教守護の神と位置づけられたためです。菩薩号を得たことで、全国の寺の鎮守神としても勧請されるようになりました。
僧形八幡神とは何ですか?▾
本地垂迹の思想が広まるなかで、八幡神を僧の姿で表した像や画のことです。東寺の鎮守八幡宮には、空海が自ら彫ったと伝えられる僧形八幡神が伝わります。
いまも「八幡大菩薩」と書かれることはありますか?▾
明治の神仏分離以降は公に用いられなくなりましたが、扁額や古文書に残るほか、いくつかの八幡宮では希望する参拝者に「八幡大菩薩」と墨書きした御朱印を授与しています。
  • 菩薩号が生まれた背景については、聖武天皇の霊が没後に八幡神と結合したと信じられ、その祟りを防ぐために贈られたとする説があります。諸説のひとつです。
最終確認日:2026-08-27