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はこだてはちまんぐう

函館八幡宮

八幡信仰国幣中社北海道函館市谷地頭町2-5

函館八幡宮は、文安2年(1445年)に亀田郡の領主であった河野政通が、城の鎮守として八幡神を勧請したことに始まると伝えられます。江戸時代には箱館奉行所が当宮を祈願所とし、蝦夷地総社として崇敬した歴史を持ちます。明治に入り、開拓使により崇敬社と定められたのち、明治29年には国幣中社に昇格しました。現在の社殿は明治45年から大正4年にかけて改築されたもので、本殿が聖帝造で権現造風の八棟造となっている事から聖帝八棟造と称されています。境内は函館山の南東麓に位置し、例祭で行われる神輿渡御祭では、神輿を担いで参道の石段134段を駆け昇る様子が見られます。

出典: Wikipedia(函館八幡宮) ↗

祈祷受付
未確認
授与所
未確認
初穂料・御朱印
未確認
アクセス
谷地頭停留場 徒歩約7分(約500m・直線距離)

基本情報

所在地北海道函館市谷地頭町2-5
御祭神誉田別命応神天皇
創建(伝)文安2年(1445年)
旧社格国幣中社
信仰系統八幡信仰
勧請元未確認
創建者未確認

函館八幡宮の御祭神

函館八幡宮の御祭神は誉田別命応神天皇1柱です。

祭祀構成 — 八幡信仰の標準

系統の標準構成に、この社の御祭神を対応づけています。

系譜(血縁) — 誉田別命の血筋

誉田別命を中心に、系譜上の血縁を並べたものです。仲哀天皇は系譜上の関係で、上の祭祀構成には含まれません。

主祭神相殿など祭祀構成外(系譜のみ) この社で祀る / 淡色=この社では確認なし× 夫婦同一の神とされる※ 御殿・相殿の区分(役割)はデータ整備中

誉田別命

応神天皇この神さまを詳しく →

八幡神そのもの。弓矢の神・武運と勝運、出世開運・厄除けの神。大陸の文化を招いた文教・殖産の祖ともされます。

八幡信仰の祭神と系譜を見る →

ご利益 (出典つき)

未確認

アクセス

谷地頭停留場 徒歩約7分(約500m・直線距離)
授与所 未確認
祈祷受付 未確認
駐車場 未確認

函館八幡宮のルーツ — 総本山からのながれ

「この神社って、どこから来たの?」勧請元をさかのぼった流れを図で。歴史好きの寄り道に。

559
伝・欽明天皇勅願
誉田八幡宮大阪府独立創建
欽明天皇の勅願により創建され、源氏や足利氏など武家の厚い信仰を集めた。八幡信仰が武家社会へ広がる中で重要な拠点としての役割を果たした。
725
宇佐神宮大分県総本宮
全国に約44,000社ある八幡宮の総本社。古代には伊勢神宮に次ぐ二所宗廟として崇敬され、八幡信仰の中心地として皇室との強い結びつきや国家的な神託を担った。
726
大分八幡宮福岡県主要分社
726年創建の筥崎宮元宮であり、遷座後も九州五所別宮の第一社として八幡信仰の拠点機能を維持した。
802
鎮守府八幡宮岩手県主要分社
坂上田村麻呂が創建したと伝わり、平安京以前から東北の鎮守府へ八幡信仰が伝播していたことを示す重要拠点。
859
貞観元年
石清水八幡宮京都府主要分社
源氏の氏神として崇敬された武神であり、源氏の勢力拡大に伴い壺井八幡宮や鶴岡八幡宮など各地へ八幡神が分霊される拠点となった。
1063
康平6年
鶴岡八幡宮神奈川県主要分社
源頼朝が鎌倉幕府を開いたことで武家の崇敬を集め、東国における八幡信仰の拠点として広くその名を知らしめた。
※ 系譜・年代は代表的な伝承にもとづく図示です。
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情報最終確認日: 2026-07-27 出典: Wikipedia・Wikidata・国土地理院・各社公式サイト等