やしろめぐりyashiromeguri
年中行事2026-07-28 公開

七五三はなぜ十一月十五日に、氏神へ参るのか

七五三は十一月十五日、千歳飴、三歳・五歳・七歳。そう覚えている行事ですが、もとは三つの別々の儀礼でした。参る先も、名の知られた社ではなく生まれた土地の神です。日付と参り先の由来をたどり、初穂料の実際までを見ていきます。

三歳・五歳・七歳は、もともと別の行事だった

十一月の境内は、着物の子とカメラを構えた家族でにぎわいます。千歳飴の細長い袋を提げて歩く姿は、この時期だけのものです。

三歳・五歳・七歳。まとめて「七五三」と呼びますが、もとは三つの別々の儀礼でした。年齢ごとに祝う中身が違います。

数え三歳は「髪置き」。江戸時代には三歳まで子の髪を剃る習慣があり、それを終える節目でした。ここから髪を伸ばしてよい、という日です。主に女児が行い、古くは男児も行ったため、いまも行う家があります。

数え五歳は「袴着(袴儀)」。男児が袴を着けはじめる儀式で、平安時代に公家のあいだで行われていた行事にならったものです。もとは男女ともに行いましたが、武家が男子だけに行ったため、次第に男児の行事になりました。

数え七歳は「帯解き」、あるいは「紐解き」。女児が付け紐の着物を卒業して、大人と同じ幅の広い帯を結びはじめる日です。

三つに共通するのは、服装が変わることで成長の段階を示す点でした。髪を伸ばす、袴をはく、帯を締める。子の身なりが一段ずつ大人に近づいていくのを、周りが確かめる行事だったわけです。三つの子供の行事をひとつの名前でくくったために本来の神事の内容が薄れ、同じ行事のように思われている——出典はそう書いています。

なぜ十一月十五日なのか

日取りの由来として伝わるのは、天和元年(1681年)の旧暦十一月十五日に、五代将軍・徳川綱吉の長男である徳松の髪置祝いが行われた、という話です。将軍家の前例にならった、というわけです。暦の上でも吉日にあたるとされます。

旧暦の十五日は二十七宿の鬼宿日——鬼が出歩かない日——で、何をするにも吉とされた日でした。

ただ、この日付にはもうひとつ、もっと生活に近い理由があります。旧暦の十一月は、収穫を終えてその実りを神に感謝する月でした。その月の満月にあたる十五日に、氏神への収穫の感謝を兼ねて、子の成長を感謝し加護を祈るようになった、と説明されます。

十一月十五日は、子供のためだけに選ばれた日ではありませんでした。今年の実りへの礼を言いに行く日に、この子もここまで育ちましたと報告する。七五三の日付は、そういう暦の上に乗っています。明治の改暦のあとは、新暦の十一月十五日に行われるようになりました。

参る先は「生まれた土地の神」だった

では、その氏神とはどこの神か。名の知られた社のことではありません。

生まれた土地の守護神を産土神(うぶすながみ)といいます。氏神や鎮守神と同じものとして扱われることが多く、その人が生まれる前から死んだあとまで守り、よそへ移っても一生守ってくれると信じられてきました。

氏神と氏子の結びつきが血縁にもとづくのに対し、産土神は地縁です。だから、この意識がはっきり表れたのは都市でした。京都では同族の結束がゆるむにつれて土地ごとのまとまりが強まり、中世には稲荷・御霊・賀茂、そして北野といった有力な社を中心に、産子区域という区分けができていきます。「産土詣で」という言葉が使われるようになり、初宮参り、成年式、そして七五三に産土詣でをする風習が盛んになりました。

七五三がいまのような華やかな形になったのは、江戸時代の中頃から。商業の発達もあって都市部で広まり、京都や大阪でも行われるようになって、やがて全国へ届いた、とされます。派手な形は都会が育てました。それでも参る先は自分の土地の社、という筋は、産土詣でから来ています。

「十一月十五日・三五七」は、全国共通の形ではない

こう書いてくると七五三には一つの正解があるように見えますが、実際は地方によって年齢も中身も違います。もともと三つの別々の行事をまとめた呼び名なので、まとめ方も土地ごとに違ったからです。

上方には十三詣りという習俗があり、これも少しずつ全国へ広がっているといいます。福岡県には、四〜五歳で「ひもとき」、七歳で「へこかき」(少年)・「ゆもじかき」(少女)を行う地区があります。ふんどしや湯文字といった大人の下着を初めて身につける、という節目です。

出雲地方には、三歳で言葉、五歳で知恵、七歳で歯を神から授かる、という考え方が伝わります。同時に、三歳・五歳・七歳は子供の厄の一種でもあるとされます。祝いであると同時に、危ない年を越える節目でもあったわけです。

日付も一様ではありません。北海道など寒い地方では十一月十五日前後がもう寒いので、一か月早めて十月十五日に行うことが多いといいます。静岡県では、他より早い三歳で男児が祝う習慣が比較的一般的です。

服装も時代で動きました。正式とされるのは三歳女児の四つ身に被布、五歳男児の熨斗目の長着に袴と羽織、七歳女児の本裁ちの小振袖ですが、1909年(明治42年)頃からは海軍の軍服を模した洋服が流行し、第二次世界大戦の末期まで続いたといいます。首都圏ではかつて男児は五歳で祝う傾向が強く、近年は「被布は三歳でしか着られない」という受け取り方から、三歳の男児にも被布を着せて写真を残す家が増えているそうです。

年齢の数え方も同じです。江戸時代に始まった神事としては旧暦の数え年が正式とされる一方、感謝を捧げて祝うことが大事という考えから、いまは満年齢で行うことも多くなりました。全国で見かける「十一月十五日・三歳五歳七歳」は関東で育った形が広まったもので、土地ごとの形はその下に残っています。

初穂料は、社によってずいぶん違う

実際に参る社を決める段になると、知りたいのは受付時間と初穂料でしょう。ここは社ごとにばらばらで、相場と呼べるものがありません。

公式サイトを見ていくと、七五三詣の初穂料を項目立てて書いている社があります。大崎八幡宮は通常の祈祷が1万円からのところ、七五三詣は5,000円から。北野天満宮は1人5,000円、2人8,000円、3人12,000円と人数で分けています。兄弟姉妹をまとめて連れて行く家のことを見込んだ値段です。大阪天満宮は初宮詣・安産祈願と同じ枠で1万円から、湯島天満宮は7千円・1万円・2万円から選ぶ形です。

一方で、金額を出していない社のほうが多数です。書いていないから受け付けていない、ということではありません。電話で聞けば済むことを、わざわざサイトに載せていないだけ、という社は珍しくないからです。十一月の社務所は混みます。予約が要るのか当日受付なのかも含め、先に確かめておくと当日が楽になります。

公式サイトで七五三詣の初穂料まで確かめられたのは、掲載社では次の4社でした。金額も受付時間も変わるものなので、参拝の前にそれぞれの公式サイトで見直してください。

七五三は、長い道のりの一区間

七五三は一日の行事に見えますが、子授けを願い、安産を祈り、生まれてから初宮参りに行き、その先に七五三がある——そういう道のりの一区間です。八幡宮がこの道を引き受けてきたのは、応神天皇とその母・神功皇后という母子の神をあわせて祀るからでした。大宮八幡宮大分八幡宮は、公式サイトに子授け・子育ての記載を掲げています。

この願いを受けてきた社には、たとえば次のような社があります。日取りの目安や初宮参りとの間隔といった実務のほうは、子育て・子宝のご利益のページにまとめました。

自分の土地の社は、どこか

由来からすれば、七五三で参るのは住んでいる土地の社です。とはいえ都市では中世から有力な社を中心に産子区域ができてきたので、名の知られた社に参るのが本来と違うというわけでもありません。近所にも選択肢がある、と知っておくくらいでちょうどよさそうです。

地域の社は、都道府県のページと市区町村のページからたどれます。たとえば京都市のページに並ぶのは、産土詣でという言葉が生まれた土地の社です。

最後に千歳飴のこと。長寿を願って親が子に与えるもので、「千歳」は健康と長寿を願った呼び名です。もとは麦芽から作った細長い飴を紅白に染めたもので、江戸時代の元禄・宝永の頃、浅草の飴売り・七兵衛が売り出した「千年飴」が始まりと伝わります。鶴亀や松竹梅の描かれた袋も、同じ願いの延長にあります。

三歳で髪を伸ばしはじめ、五歳で袴をはき、七歳で帯を結ぶ。身なりが変わるたびに土地の神へ報告してきた行事が、いまは十一月の一日にまとまっています。袋の中の飴があれほど細長いのは、長い命への願いをかたちにしたからでした。

  • 十一月十五日の由来を徳川徳松の髪置祝いに求める説は「伝えられる」ものとして記されており、確定した由来ではありません。
  • 年齢・時期・祝う内容の地域差はいずれも例示で、網羅ではありません。同じ県内でも地区によって異なります。
  • 数え年と満年齢のどちらで行うか、日取りをいつにするかに厳密な決まりはありません。この点は子育て・子宝のご利益ページにもまとめています。
  • 祈祷の受付時間・初穂料は変わります。掲載しているのは当サイトが確認した時点の値です。参拝前に各社の公式サイトでご確認ください。
文責:やしろめぐり/公開日:2026-07-28/最終更新日:2026-07-28

よくある質問

七五三はいつ行くものですか。
十一月十五日が本来の日ですが、現在は十一月中の土・日・祝日に行うことも多くなっています。北海道などの寒冷地では、その時期が寒いことから一か月早めて十月十五日に行う場合が多いとされます。
三歳・五歳・七歳は、それぞれ何を祝うのですか。
もとは別々の儀礼です。数え三歳の「髪置き」は髪を剃る習慣を終える儀、数え五歳の「袴着」は男児が袴を着け始める儀、数え七歳の「帯解き」は女児が大人と同じ幅の帯を結び始める儀とされます。ただし年齢も祝う内容も地方によって異なります。
どの神社に参るものですか。
由来としては、生まれた土地・住んでいる土地の神(産土神・氏神)に参る行事でした。旧暦十一月の収穫感謝にあわせ、氏神へ子の成長を報告したことに始まるとされます。ただし都市では中世から有力な社を中心に産子区域が形成されており、名の知られた社に参る形も古くからあります。
千歳飴はなぜ配られるのですか。
長寿を願って親が子に与えるものです。「千歳」は健康や長寿を願った呼び名で、江戸時代の元禄・宝永の頃に浅草の飴売り・七兵衛が売り出した「千年飴」から始まったとされます。

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