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天神信仰

総本山 太宰府天満宮/北野天満宮(福岡・京都)約1.2万社

天神さま(天満天神)は、平安時代の学者・政治家である菅原道真公をお祀りする神さまです。右大臣にまで昇りながら大宰府へ左遷され、その地で世を去った道真公は、都に相次いだ天変地異から「祟りをなす神」として畏れられ、朝廷によって手厚く祀られました。やがて怨霊の記憶が薄れるにつれ、慈悲の神・正直の神・冤罪を晴らす神として親しまれ、江戸時代の寺子屋を通じて「学問の神さま」として定着します。社号は天満宮・天満神社・天神社・菅原神社などさまざまで、いまも受験の季節には全国のお宮が祈願の人で埋まります。

数字でみる天神信仰

天神さまは総本宮と総本社が別々にあり、創建の年も二社で異なります。社数も、北野天満宮の数え方と本社を祭神で分類した集計とで三倍以上の開きがあります。

主祭神
菅原道真(天満大自在天神)
総本宮・総本社
太宰府天満宮/北野天満宮
二社は互いに勧請の関係になく独立に創建された。太宰府は「総本宮」、北野は「総本社」と称する
全国の社数
約1万2000社
北野天満宮による数え方。本社を祭神で分類した集計では3,953社で分社数は第3位(岡田荘司ら)。数え方で結論が変わる
創建
延喜5年(905年)/天暦元年(947年)
太宰府=道真公の墓所に味酒安行が廟を建立(社殿は延喜19年・919年)。北野=神託により社殿を造営
神使
牛(臥牛像)
神紋
梅鉢
北野天満宮は星梅鉢紋、湯島天満宮は加賀梅鉢紋
縁日
毎月25日
道真公の誕生日が6月25日、命日が2月25日であることにちなむ。1月25日を「初天神」、12月25日を「終い天神」と呼ぶ

天神信仰の祭神

天神信仰は、実在の人物である菅原道真公と、没後に贈られた神号「天満大自在天神」という二つの名で語られます。祀るのは一柱で、系譜には神格化されていない父祖も並びます。

祭祀構成 — 天神信仰の標準

この信仰の神社が受け継ぐ、標準の祭神構成です。

系譜(血縁) — 菅原道真の血筋

菅原道真を中心に、系譜上の血縁を並べたものです。伴氏・菅原是善は系譜上の関係で、上の祭祀構成には含まれません。

親
子
主祭神祭祀構成外(系譜のみ)× 夫婦同一の神とされる

※ 勧請・分祀によって、天神信仰の神社はこの祭神構成を受け継いでいます。各神社のページでは、この標準構成にその社の御祭神を対応づけて表示しています。

天神信仰のルーツ — 総本宮からのながれ広がる

当サイトの掲載社を、創建の伝えが古い順に並べたものです。天神さまはゆかりの地でそれぞれ独立に興った社が多く、総本宮から勧請の系列が一本に伸びる八幡信仰とは広がり方が違います。

903
伝
谷保天満宮東京都独立創建
東日本最古の天満宮。道真の子息・道武が廟を建てたことに始まり、学問の神として古くから信仰を集めてきた独立創建の神社。
904
延喜4年
防府天満宮山口県独立創建
904年創建。「日本最初に創建された天神様」を名乗り、道真の配流地という地理的特性から、早期の天神信仰の拠点としてその広がりを象徴する。
919
延喜19年
太宰府天満宮福岡県総本宮
菅原道真の怨霊を鎮める御霊信仰から始まり、学問の神としての崇敬を全国に広げた天神信仰の総本宮。
道真公の墓所の地に建立された安楽寺の廟が、のちの太宰府天満宮。祟りを鎮める祈りの場から信仰がはじまりました。
947
天暦元年
北野天満宮京都府総本社
太宰府天満宮とともに天神信仰の中心をなす天満宮の総本社。当社から全国各地へ勧請が行われ、信仰が広がる基点となった。
清涼殿落雷ののち、朝廷が祟りを鎮めるため北野の地に社殿を建立。987年には勅号が下され、「天神=道真公」の信仰が公に確立していきました。
949
天暦3年
大阪天満宮大阪府独立創建
901年に道真が参詣した旧跡に、その後の天神信仰の広がりを受け、村上天皇の勅命により新たに天満宮が建立された。
1104
長治元年
荏柄天神社神奈川県独立創建
鎌倉幕府の鬼門守護神として崇敬を受け、武家政権の成立とともに天神信仰が武家の精神的な拠り所として定着した。
※ 系譜・年代は代表的な伝承にもとづく図示です。

怨霊から学問の神へ

昌泰4年(901年)、左大臣・藤原時平らの策により道真公は大宰府へ左遷され、延喜3年(903年)に同地で没しました。その後、都では疫病と日照りが続き、醍醐天皇の皇子が相次いで世を去り、ついには清涼殿に落雷して多くの死傷者が出ます(清涼殿落雷事件)。これらを道真公の祟りと恐れた朝廷は罪を赦して贈位を行い、平安京の西北を守る火雷神が祀られていた北野の地に社殿を建てました。畏れの記憶が薄れた平安末から鎌倉期には、『天神縁起』が語るように慈悲の神・正直の神・冤罪を晴らす神、和歌や連歌の神として親しまれ、江戸時代には寺子屋を通じて学問の神として広まります。怨霊として始まった信仰が、いま受験生の祈りの対象になっているという転回そのものが、天神信仰のいちばんの特徴です。

安楽寺と渡唐天神 — 神と仏のあいだの天神さま

道真公の神格は、はじめから仏教と深く重なっていました。神号「天満大自在天神」は仏教の大自在天に、雷神としての性格は大威徳明王に結びつけて考えられ、『渡唐天神』『天神経』など天神を主題とする仏教の信仰・経典も生まれます。太宰府の廟は「天原山庿院安楽寺」と号する寺院として営まれ、北野でも朝日寺(現・東向観音寺)が神宮寺となり、菅原氏の出である曼殊院門跡が代々別当職を務めました。明治の神仏分離でこれらは分けられ、いまは神社として参拝されています。

参拝が楽しくなる 見どころ・豆知識

神使は牛
「道真公は丑年生まれ」「大宰府へ下るとき牛が泣いて見送った」「葬送の牛車が動かなくなった場所が墓所になった」など、牛にまつわる伝承が数多く伝わります。天満宮の境内に臥牛の像があるのはこのためで、撫でて祈願する風習も広まりました。
梅と飛梅
道真公が愛したのは梅。「東風吹かば にほひをこせよ 梅の花」と詠んで都を発った公を慕い、梅が一夜で大宰府へ飛んだという飛梅の伝承が知られます。北野・湯島・亀戸をはじめ、天満宮の多くが梅の名所で、2〜3月には梅まつりが開かれます。
毎月25日は天神さんの日
誕生日と命日がともに25日であることから、多くの天満宮が毎月25日を縁日とします。年明けの「初天神」と年の瀬の「終い天神」はとくに賑わい、京都・北野天満宮の縁日は骨董市としても有名です。
鷽替え(うそかえ)神事
木彫りの鷽(うそ)を参拝者どうしで取り替え、前年の凶事を「嘘」にして幸福に替えるという神事。太宰府天満宮をはじめ、亀戸天神社・谷保天満宮などで行われます。
北陸の「天神さま飾り」
福井・富山では、長男が生まれるとその後の正月に床の間へ天神像や掛軸を飾る風習が伝わります。教育に熱心だった福井藩主・松平春嶽が奨励し、富山の薬売りが広めたという説があり、菅原氏の出を称した前田家の領内にも天満宮が多く残ります。

天神信仰の神社

まず訪ねたい代表社

下の顔ぶれのうち、太宰府・北野・防府・大阪・谷保は互いに勧請の関係を持たない独立創建の社です。湯島・亀戸のように、のちに勧請で開かれた江戸の社がそれに続きます。

当サイトの掲載社(掲載132社のうち54社)

上に挙げた7社をのぞき、総本宮・社格・称号の順に16社を表示しています。

※ 並び順は旧社格(1946年に廃止された近代の格付け)と、総本宮・一宮などの称号にもとづくものです。格の高さがご利益の大きさを表すものではありません。

天神信仰のよくある質問

天満宮と天神社・菅原神社の違いは?▾
どれも菅原道真公を祀る神社で、社号の表記違いです。天満神社・北野神社・菅原神社なども同じ系統にあたります。ただし「天神社」には天津神を祀る道真公と無関係の社もあるため、祭神の確認が必要です。
総本社はどこですか?▾
太宰府天満宮と北野天満宮の二社です。互いに勧請した関係ではなく独立に創建されたため、太宰府は「総本宮」、北野は「総本社」と称し、いずれも「天神信仰発祥の地」と位置づけられています。
なぜ牛の像があるのですか?▾
道真公が丑年生まれだったこと、大宰府へ下る道中を牛が見送ったこと、葬送の牛車が止まった場所が墓所になったことなど、牛にまつわる伝承が多いためです。牛は天満宮の神使とされています。
なぜ学問の神さまなのですか?▾
道真公が当代を代表する学者・漢詩人として重んじられたことによります。もとは祟りを鎮めるための信仰でしたが、江戸時代に寺子屋で学業成就の神として広く祀られ、いまの合格祈願につながりました。
お参りするなら何日がよいですか?▾
毎月25日が縁日です。とくに1月25日の「初天神」は受験期と重なって賑わいます。作法は一般的な二拝二拍手一拝で、各社の案内に従ってください。

関連する読み物

  • 「日本三大天神」に数える社には諸説があり、太宰府・北野のほかにどの社を挙げるかは一定しません。
  • 「日本最古/最初の天満宮」を称する社は防府天満宮のほかにも複数あり、確定した定説はありません。
  • 全国の社数は数え方(本社のみか、境内社・合祀を含めるか)で大きく変わります。
  • 各社の相殿・配祀の神さま(湯島天満宮の天之手力雄命、谷保天満宮の菅原道武など)は当サイトでは未整備で、主祭神を中心に示しています。
最終確認日:2026-08-27