菅原道真
菅原道真(すがわら の みちざね、845〜903年)は、平安時代の貴族・学者・漢詩人であり、いま全国の天満宮・天神社で「天神さま」として祀られている神さまです。学者の家に生まれ、宇多天皇に重用されて右大臣にまで上りましたが、藤原時平の讒言により大宰府へ左遷され、その地で世を去りました。死後に相次いだ異変が道真の祟りと恐れられ、やがて天満天神として祀られるようになります。いまでは学問の神・受験の神として、もっとも身近な神さまのひとりです。
菅原道真の基本情報
学者の家に生まれた実在の人物で、生没年も官位も記録に残ります。神としての呼び名「天満大自在天神」は、没後に贈られたものです。
菅原道真の系譜
父の菅原是善も文章博士を務めた学者でした。ここに並ぶのは神として祀られていない人びとを含みます——天神信仰の系譜は、神々の血筋ではなく一つの家系をたどる形をとっています。
怨霊から、学問の神へ
菅原道真のなりたち集まる
「天神さま=菅原道真」も、はじめからの等式ではありません。雷神への古い信仰と道真公の御霊への畏れが結びついて固有の信仰となり、各地で祀られていた天神もまた道真公であるとされるようになりました。
天満大自在天神という名
道真の死後、都では落雷や要人の死が相次ぎ、これらが道真の怨霊によるものと恐れられました。延長8年(930年)の清涼殿落雷事件はその頂点で、目撃した醍醐天皇も体調を崩して3か月後に崩御しています。雷神(火雷天神)と結びついた道真の霊は「天満大自在天神」と呼ばれ、天暦元年(947年)に北野の地で神として祀られました。正暦4年(993年)には贈正一位左大臣、さらに太政大臣が贈られ、神格化が進みます。恐れの対象が学問の守り神へと変わっていったところに、天神信仰の大きな特徴があります。
菅原道真の変遷 — 役割とご利益の移り変わり変わる
大宰府で没する。まもなく臣下の味酒安行が、天満大自在天神という神格で祀る
疫病や清涼殿への落雷が相次ぎ、道真公の祟りと恐れられる。怨霊は雷神と結びつけられた
祟りを鎮める祈りから、学問成就の祈願へ——天神さまへの願いは、数百年をかけて移り変わってきました。
菅原道真を祀る神社(掲載132社のうち55社)
総本宮・社格・称号の順に16社を表示しています。
谷保天満宮・朝日森天満宮・於保多神社・曽根天満宮・御袖天満宮・大野神社・菅原神社(薩摩川内市)・鶴嶺八幡宮・平群天神社・上宮天満宮・道明寺天満宮・露天神社・犬丸天満宮・有川神社・菅原天満宮(奈良市)・與喜天満神社・大塩天満宮・大生郷天満宮・火除天満宮・吉祥院天満宮・水火天満宮・菅原院天満宮神社・文子天満宮・本村神社・大嵐天神社・荏柄天神社・北野神社(鎌倉市)・弘前天満宮・佐太天神宮・福島天満宮・綱敷天満宮(神戸市)・岩津天満宮・錦天満宮・滝宮天満宮・金沢神社・綱敷天満宮(福岡市)・小平潟天満宮・長洲天満宮・和歌浦天満宮
※ 並び順は旧社格(1946年に廃止された近代の格付け)と、総本宮・一宮などの称号にもとづくものです。格の高さがご利益の大きさを表すものではありません。
菅原道真のよくある質問
天神さまとは菅原道真のことですか?▾
どんなご利益がありますか?▾
なぜ牛が神使なのですか?▾
天満宮と天神社は違いますか?▾
- 神使が牛とされる由来、神紋に梅が使われる由来には諸説があり、定説はありません。
- 怨霊譚として伝わる事件(清涼殿落雷事件など)は、当時の人びとが道真の祟りと受け止めたという記録であり、因果関係を述べるものではありません。