太宰府天満宮
学問の神様として知られる菅原道真公を祀る太宰府天満宮は、京都の北野天満宮と並ぶ全国天満宮の総本社です。その歴史は919年に遡り、年間約1000万人の参拝者が訪れるなど、道真公の霊廟として今もなお篤く信仰され、多くの人々に親しまれています。
基本情報
太宰府天満宮の御祭神
太宰府天満宮の御祭神は菅原道真の1柱です。
系統の標準構成に、この社の御祭神を対応づけています。
菅原道真を中心に、系譜上の血縁を並べたものです。伴氏・菅原是善は系譜上の関係で、上の祭祀構成には含まれません。
平安前期の学者・漢詩人で、宇多天皇に重用され右大臣に至った実在の人物。学問・文章の神であり、無実の罪を晴らす神、正直の神としても信仰されます。
没後まもなく道真公に贈られた神号。のちに清涼殿落雷事件を機に雷神(火雷神)と結びつけられ、「天神さま」の呼び名が広まりました。
ご利益 (出典つき)
アクセス
〒818-0117 福岡県太宰府市宰府4丁目7番1号
太宰府駅 徒歩約6分(約430m・直線距離)
未確認
祈祷・授与所
近くの神社
当サイトに掲載している神社のうち、直線距離で約3km以内のものです。付近の神社のすべてではありません。
太宰府天満宮の由緒
牛車が止まった場所 — 廟のはじまり
右大臣であった菅原道真は、昌泰4年(901年)に大宰権帥として左遷され(昌泰の変)、延喜3年(903年)にこの地で世を去りました。遺骸を安楽寺に葬ろうとしたところ、葬送の牛車が門前で動かなくなったため、ここに留まりたいという道真の遺志と考え、延喜5年(905年)に味酒安行(うまさけのやすゆき)が墓所の上に廟を建てたと伝えられます。のちに醍醐天皇の勅を奉じた左大臣・藤原仲平が大宰府へ下向して社殿を造営し、延喜19年(919年)に竣工しました。これが安楽寺天満宮の創祀です。
祟りと鎮魂 — 天満宮となるまで
道真の死後、都では疫病や異常気象が続き、延喜9年(909年)には藤原時平が39歳で世を去ります。延喜23年(923年)に皇太子・保明親王が21歳で、延長3年(925年)にはその遺児・慶頼王がわずか5歳で亡くなりました。そして延長8年(930年)、公卿が居並ぶ清涼殿に落雷があって死傷者が出る事態となり(清涼殿落雷事件)、醍醐天皇もその衝撃がもとで床に伏し、譲位の直後に崩御します。わずか30年ほどのあいだに天皇1人・皇太子2人・右大臣以下の高級貴族が相次いで没したことで、道真への御霊信仰は頂点に達し、太政大臣の追贈などの慰撫が重ねられました。正暦元年(990年)ごろからは、本来は天皇・皇族を祀る社号である「天満宮」が併用されるようになります。
怨霊から学問の神へ
道真の御霊への恐れが薄れてきた中世ごろから、生前すぐれた学者であったことにより、学問の神として信仰されるようになりました。天正6年(1578年)に秋月種実の兵火で焼けた本殿は、天正19年(1591年)に小早川隆景によって再建されています。江戸時代に黒田氏が国主となってからは社域の整備と社殿の修復が重ねられ、社運は隆盛しました。明治の神仏分離で安楽寺は廃寺となり、明治4年(1871年)には社号が「太宰府神社」に改められます(「宮」号が原則として皇族を祭神とする神社に限られたため)。現在の社号に復したのは昭和22年(1947年)のことです。
124年ぶりの本殿改修(2023〜2026年)
2023年(令和5年)5月から、124年ぶりとなる本殿の大改修が行われました。工事のあいだ道真の神霊は仮殿に遷され、この仮殿は建築家・藤本壮介の設計による、黒を基調として屋根の上に梅などの森が広がる現代的な意匠のものでした。改修の完了に伴い、2026年(令和8年)5月16日に正遷座祭が営まれ、神霊は本殿へ還りました。
見どころ
年中行事 (主なもの)
※ 日程は年によって変わることがあります。参拝の予定を立てる際は公式サイトでご確認ください。
天神信仰のひろがり
以下は天神信仰が各地へ広がった代表的なながれで、太宰府天満宮一社の勧請の来歴をたどったものではありません。太宰府天満宮はこのながれのなかに現れます。
太宰府天満宮から広がった社 (当サイト掲載分2社)
太宰府天満宮から御分霊を勧請したと伝わる神社です。勧請の年代や経緯には諸説があり、各社のページに出典を記しています。
※ 並び順は旧社格(1946年に廃止された近代の格付け)と、総本宮・一宮などの称号にもとづくものです。格の高さがご利益の大きさを表すものではありません。
巡拝・名数での位置づけ
太宰府天満宮が登場する読み物
本文で太宰府天満宮に触れている特集記事です。
太宰府天満宮のよくある質問
太宰府天満宮はどんな神社ですか?▾
北野天満宮とはどちらが総本社ですか?▾
飛梅とは何ですか?▾
鷽替え・鬼すべとはどんな行事ですか?▾
本殿の改修は終わりましたか?▾
- 「三天神」の三社目には諸説があり、防府天満宮とする説のほか大阪天満宮とする説もあります。
- 牛車が動かなくなったという創建の由来や飛梅の伝説は、伝承として伝わるものです。
- 参拝者数は公表されている概数です。