
ほうじょうえ
放生会
伝播型行っている社 15社
放生会(ほうじょうえ)は、捕らえた魚や鳥獣を放して殺生を戒める行事です。インドに起源をもち、中国を経て日本に伝わったとされます。日本では八幡神の託宣にもとづいて宇佐で行われたのが始まりと伝えられ、やがて石清水八幡宮を中心に、八幡信仰の広がりとともに全国の八幡宮の祭りになりました。ただし、同じ名で呼ばれていても、いま各地の社で行われていることは一様ではありません。放つのが魚の社もあれば巻貝の社もあり、鈴虫を放つ社もあります。参道に数百軒の露店が並ぶ七日七夜の祭りもあれば、静かな神事として続く社もあります。明治の神仏分離で祭りの名を改めた社があり、行事は伝わらず地名や境内の碑に名だけが残る社があります。八幡ではない天満宮で行われている例もあります。
なぜ同じ祭りが各地の八幡宮にあるのか
放生そのものは古く、天武天皇5年(677年)に諸国へ放生を命じた詔が下されたのが初見とされます。持統3年(689年)には殺生禁断の地が定められ、定期的に放生会が開かれるようになりました。聖武天皇の時代には、放生によって病を免れ寿命を延ばすという意義が明確にされたといいます。
国家の制度としての放生会は律令体制の衰退とともに衰えていきますが、入れ替わるように八幡信仰が全国へ広まり、石清水八幡宮を中心に放生会が行われるようになります。各地の八幡宮に同じ名の祭りがあるのは、この経路をたどったためです。八幡神がどのように全国へ広がったかは八幡信仰のページにまとめています。
同じ経路をたどった結果として、起源の伝えも一通りではありません。日本での始まりは宇佐と伝えられますが、下の一覧には、社伝として別の起源を語る社が並んでいます。国家の行事だった時代の名残を伝える社と、八幡信仰の広がりとともに祭りを受け取った社が、同じ「放生会」の名で並んでいるということです。
何を放つのか — 魚・鳥・亀、そして蜷
放生会という名は、生き物を放つという行いそのものを指しています。何を放つかは社によって違い、そこにこの行事の性格がよく表れます。起源とされる宇佐神宮で放たれるのは蜷(にな)、つまり巻貝です。見た目の効果もあって魚や鳥を使う社が多いなかで、これは目を引く例です。鶴岡八幡宮では、9月の例大祭にあわせて境内の林に鈴虫を放つ「鈴虫放生祭」が行われます。
放つための池を放生池といい、寺社の境内に設けられました。行事が続いている社にも、行事は伝わらず池だけが残る社にもあり、境内に放生池の名が残っていること自体が、そこで放生会が行われていた証しになります。
放ち亀・放ち鳥という言い方もあります。かつては寺社の近くの川で行われることもあり、亀屋から客が買って川に放した亀を、亀屋がふたたび捕らえて別の客に売るという商売があったと伝えられます。小林一茶が亀の放生を詠み、歌川広重が『名所江戸百景 深川万年橋』にその情景を描いています。
現代では、何を放つかに別の問いが加わりました。興福寺は例年4月17日に猿沢池へ鯉や金魚を放していましたが、生態系への影響と行事本来の趣旨を考えて、2024年からは池にもともと生息するモツゴなどの在来種を放つように改めています。放つ生き物を選ぶという判断が、行事の側にも生まれているということです。

神事としての放生会と、祭りとしての放生会
放生会は神事であると同時に、秋の祭りとして人を集めてきました。その振れ幅がいちばん大きく出ているのが筥崎宮です。読みは「ほうじょうえ」ではなく「ほうじょうや」。9月12日から18日までの七日七夜にわたって行われ、公式サイトは、期間中のべ100万人が訪れ、参道一帯に数百軒の露店が並ぶと案内しています。博多では「ナシもカキも放生会」と言われ、秋の訪れを告げる行事として親しまれてきました。
賑わいは近世から続くものです。江戸時代の放生会は民衆の娯楽としての意味合いが強く、文化4年(1807年)には富岡八幡宮の放生会の例大祭に集まった参拝客の重みで永代橋が崩落する事故が起きたことが記録されています。
祭りの中身も社ごとに違います。千栗八幡宮では、氏子が佐賀藩の大名行列を模して奉納する行列浮立が最大の行事とされます。大分八幡宮では県の無形民俗文化財の獅子舞が舞われ、これは享保9年(1724年)に石清水八幡宮から伝わったとされます。放生津八幡宮では、地名の由来になった放生会が、国の重要無形民俗文化財である曳山神事とあわせて行われます。殺生を戒めるという一点から始まった行事が、土地ごとの祭礼を引き受けて今日に至っているのが分かります。
祭りに集まる顔ぶれにも、この行事らしさが残っています。放生会にはウナギの取扱業者やフグの調理師が参列する姿が見られます。生き物の命を扱う仕事の側が、放生の場に立ち会うということです。
明治に名と祭日が動いた
もうひとつの節目が明治元年(1868年)の神仏分離でした。仏教的な神号である八幡大菩薩が禁じられ、同年7月には宇佐と石清水の放生会が仲秋祭・石清水祭へ改めさせられます。祭日も、旧暦8月15日で1200年以上続いたものが動きました。
そのため、祭りそのものは続いていても名と日付が変わった社があり、いまの祭名だけを見ても放生会にたどりつかないことがあります。石清水八幡宮の石清水祭は、葵祭・春日祭とともに三勅祭のひとつに数えられますが、神仏習合の時代には放生会と称されていました。宇佐神宮の仲秋祭も、改称のあとも氏子や関係者は放生会と呼び続けています。下の一覧を「現在の祭名」ではなく「出典が放生会として記しているか」で作っているのは、このためです。
たどった道
起源インド・中国
放生はインドに起源をもつ行事で、中国を経て日本に伝わったとされます。中国では、天台宗の開祖である智顗が、漁民の捨てる雑魚を憐れんで買い取り放生池に放したのが、『金光明経』にもとづく放生会の初めといわれます。
日本での初見677年(天武天皇5年)
諸国へ放生を命じた詔が下されたのが初見とされます。持統3年(689年)には殺生禁断の地が定められ、定期的に放生会が開かれるようになりました。
八幡神の託宣720年(養老4年)
大隅・薩摩でおきた隼人の反乱の後、誅滅された隼人の慰霊と滅罪のため、八幡神の託宣によって宇佐で放生会が執り行われたと伝えられます。
石清水へ、そして全国へ863年(貞観4年)〜
石清水八幡宮の放生会が始まり、天暦2年(948年)に勅祭となりました。国家の制度としての放生会が律令体制の衰退とともに衰えるのと入れ替わるように八幡信仰が全国へ広まり、各地の八幡宮の祭りになります。
中断1483年(文明15年)
応仁の乱の後、石清水八幡宮の放生会は中断します。
再開1679年(延宝7年)
幕府から放生会料百石が下されて再開しました。徳川綱吉による生類憐れみの令は、文治政治への転換期における殺生禁断令の集大成にあたるとされます。
名と祭日が動く1868年(明治元年)
神仏分離で八幡大菩薩の神号が禁じられ、宇佐と石清水の放生会は仲秋祭・石清水祭と改称させられます。旧暦8月15日で1200年以上続いた祭日も動きました。
いま
収穫祭・感謝祭の意味も含めて、春または秋に全国の八幡宮と寺院で行われています。放つものも祭りの姿も社ごとに違い、名を変えて続く社があり、地名や境内の碑に名だけが残る社があります。
放生会を行っている神社
起源とされる社1社
- 宇佐神宮大分県
日本における放生会の起源とされる。正式には陰暦8月15日で、仲秋祭と改称した現在も氏子や関係者は放生会と呼ぶ。放たれるのは蜷(巻貝)で、演出のため魚や鳥を放つ社とは異なる
出典: Wikipedia ↗
大祭として続く2社
- 石清水八幡宮京都府
仏式で行われていた放生会が神仏分離で「石清水祭」と名を変えた。例年9月15日の例祭で、葵祭・春日祭とともに三勅祭のひとつに数えられる
出典: Wikipedia ↗ - 筥崎宮福岡県
読みは「ほうじょうや」。9月12日から18日までの7日7夜にわたり、公式サイトは期間中のべ100万人が訪れると案内する。参道一帯に数百軒の露店が並び、御神輿行列(御神幸)は西暦の奇数年に行われる
出典: 公式サイト ↗
いまも続く行事6社
- 鶴岡八幡宮神奈川県
『吾妻鏡』に文治3年(1187年)8月15日の放生会と流鏑馬の記録がある。明治に中秋祭へ改められ、現在は9月の例大祭で境内の林に鈴虫を放つ「鈴虫放生祭」が行われる
出典: Wikipedia ↗ - 大分八幡宮福岡県
毎年9月の例祭が放生会にあたる。放生会に使う放生池が現存し、県の無形民俗文化財『大分の獅子舞』は享保9年(1724年)に石清水八幡宮から伝わったとされる
出典: Wikipedia ↗ - 千栗八幡宮佐賀県
秋季大祭を俗に放生会という。殺生を戒め五穀豊穣を祈る祭りで、最大の行事は氏子が佐賀藩の大名行列を模して奉納する行列浮立
出典: Wikipedia ↗ - 放生津八幡宮富山県
放生会が「放生津」という地名の由来。10月1日から3日の例大祭で、国の重要無形民俗文化財である曳山神事・築山神事とあわせて行われる
出典: Wikipedia ↗ - 鶴嶺八幡宮神奈川県
9月15日に放生会が行われる
出典: Wikipedia ↗ - 篠村八幡宮京都府
9月第3日曜に放生会が行われる
出典: Wikipedia ↗
別の起源が伝わる2社
- 木本八幡宮和歌山県
社伝では神亀元年(724年)、聖武天皇の玉津島行幸に際して芝原八幡宮で放生会を行ったことに起源をもち、古くは「放生祭」と称したという
出典: Wikipedia ↗ - 飯香岡八幡宮千葉県
天平宝字3年(759年)に全国放生の地に鎮座する国府八幡宮と定められ、国府司祭の放生会を現在に伝えるという。元禄7年(1694年)には雄鳩1096羽を放った記録がある
出典: Wikipedia ↗
八幡以外の社での実施1社
- 長岡天満宮京都府
天満宮だが9月下旬に放生会を行う。人間の食料として犠牲になった生き物の霊を弔う
出典: Wikipedia ↗
名・碑・記録に残る3社
- 若宮八幡宮社京都府
石清水八幡宮の若宮として、毎年8月に放生会を行う例とされた。境内に放生池がある
出典: Wikipedia ↗ - 下野國一社八幡宮栃木県
境内に放生会の碑(市指定)が残る
出典: Wikipedia ↗ - 富岡八幡宮東京都
文化4年(1807年)、放生会の例大祭に集まった参拝客の重みで永代橋が崩落する事故が記録されている。江戸の放生会は民衆の娯楽としての意味合いが強かった
出典: Wikipedia ↗
注記
- 日本での始まりは宇佐と伝えられますが、各地の社にはそれぞれ別の起源の伝えがあります。一覧では、出典が起源として記す伝えを「別の起源が伝わる」として分けています。
- 社伝として伝わる起源の年代は、歴史資料で確定した事実とは層の異なる話です。
- 明治の神仏分離で祭りの名や祭日を改めた社があります。現在の祭名が放生会でなくても、同じ行事が続いている場合があります。
- 筥崎宮の人出と露店の数は、同宮の公式サイトが案内している数字です。当サイトが実測したものではありません。
- 石清水八幡宮の石清水祭や筥崎宮の放生会は、資料により「三勅祭のひとつ」「博多三大祭のひとつ」と紹介されることがあります。何をもって数えるかは資料によって異なります。
- 祭日・期間・行事の内容は変わることがあります。参拝の予定を立てるときは、各社の公式の案内で確かめてください。
出典
情報最終確認日: 2026-08-27 / 社伝・伝承は、歴史資料で確定した事実とは層の異なる話として扱っています。 各社の記述は上記の出典によります。