⛩ やしろめぐりyashiromeguri
低い石の台の上に、四肢を折って伏せた姿の牛の像を横から描いた千代紙風の図案

がぎゅう・なでうし

臥牛・撫で牛

伝播型牛の伝えがある社 6社

天満宮の境内には、伏せた姿の牛の像が置かれています。臥牛像といい、その牛を撫でて祈るという作法が、各地の社の案内に記されています。菅原道真と牛の結びつきを語る伝えはひとつではありません。生まれた年が丑年であるという話、大宰府へ下るときに牛が泣いて見送ったという話、牛に乗って下ったという話、墓所の位置は牛が決めたという話——別々の場面を語る伝えがいくつも残されており、これらによって牛は天満宮において神使、すなわち祭神の使者とされ、臥牛の像が決まって置かれるようになりました。ところが各地の社を並べると、決まって置かれているのは像のほうで、撫でるという作法や、何を願って撫でるのか、その牛を何と呼ぶのかは、それぞれの社の記録に別々の形で現れます。牛が神使とされた由来そのものは天神信仰と菅原道真のページに譲り、ここでは像と作法が各地でどう残ったのかを並べます。

牛が神使とされるまで

道真と牛を結びつける伝えは、ひとつの出来事に絞られていません。生まれた年が丑年であること、大宰府への左遷のときに牛が泣いて見送ったこと、牛に乗って大宰府へ下ったこと、牛がよくなつき道真もまた牛を愛育したこと、牛が刺客から道真を守ったこと、墓所の位置を牛が決めたこと。資料はこれらを並べたうえで、これによって牛は天満宮において神使とされ、臥牛の像が決まって置かれている、と説明しています。

由来そのものは天神信仰のページと菅原道真のページで扱っています。大宰府へ下る道中に牛が出てくる伝えは道真が大宰府へ下る道中の物語とも重なります。このページで見るのは、その結果として置かれた像のほうです。

注目したいのは「決まって置かれている」という言い方です。個々の社がそれぞれに思いついて牛を置いたのではなく、天満宮という枠のほうに像が付いてきた、という筋道になります。起源を語る側と、像を持つ側が分かれている点もこの物語の特徴で、北野天満宮は遺骸を運ぶ牛車が座り込んだ場所が墓所になったという縁起を持つ社として、一覧のなかでは由来の側に立っています。

像は決まって置かれ、作法は社ごとに書かれている

ここで出典の書き方に断りが要ります。牛が神使とされ像が置かれるまでを説明する資料は、その像を撫でるという作法については、何も書いていません。撫でるという行いが現れるのは、社ごとの案内や記録のほうです。

この非対称は、伝わり方を考えるうえで意味を持ちます。天満宮という枠に付いてきたのは像が置かれるところまでで、その像に対して何をするかは、それぞれの土地で書き残されている、という形です。行事そのものが各地へ伝わった放生会とも、木が株分けされて運ばれた飛梅とも、残り方が違います。

したがってこのページの一覧は、同じ作法が各地へ広まったことを示すものではありません。像を持つ社が、その像との関わり方をそれぞれに書き残している、その並びです。

何を願って撫でるかは、社ごとに違う

願いの向きが社によって分かれます。亀戸天神社の神牛座像は、触れると病を治し知恵を得るといわれます。於保多神社では絵馬堂の神牛像を撫でて合格を祈願します。道明寺天満宮は、良くなりたい場所を撫でるという作法を公式に案内しています。

同じ像に向かいながら、体の不調に向く願い、学業に向く願い、撫でる場所を参拝者が選ぶ作法、と方向が違います。とくに三つ目は、願いの中身を社が決めずに参拝者の側へ預けている点で、ほかの二つと組み立てが違います。

何を願うかが分かれる形は、何を放つかが社ごとに違った放生会と似ています。ただし放生会では行事の中身そのものが分かれたのに対し、こちらは置かれている像は同じで、向ける願いのほうが分かれています。

呼び名も、置かれ方もひとつではない

呼び名も揃っていません。御袖天満宮の境内にあるのは「さすり牛」で、吉祥院天満宮には「金のなで牛くぐり牛」があります。撫でる、さする、くぐる——同じ像を指しながら、動作を含む呼び方が土地ごとに違います。ただし「くぐり牛」については呼び名が記録に残るだけで、どうくぐるのかを説明した記述は見つかっていません。

置かれ方も一様ではありません。絵馬堂の中に据えられている社があり、境内に据えられている社があります。道明寺天満宮では平成14年(2002年)に青銅の神牛が復興されました。像は昔置かれたものが残っているだけでなく、あらためて作られてもいます。

撫でるという行いは、像がそこにあって初めて成り立ちます。その像が各地に置かれた理由は共通していて、置かれたあとの扱いは共通していない——この二段の構えが、牛をめぐる伝えの残り方です。

伏せた姿の牛の像を三体、間隔をあけて横に並べた千代紙風の図案。三体は同じ姿勢で、色がそれぞれ違い、台も柱状・平たい石・円い台と違う。
像の色も、据えられている台も、社によって違います。特定の神社の像を描いたものではありません。

たどった道

  1. 牛にまつわる伝えが重なる

    生まれた年が丑年である、左遷のときに牛が泣いて見送った、牛に乗って大宰府へ下った、墓所の位置は牛が決めたなど、別々の場面を語る伝えがいくつも残されています。

  2. 牛が神使とされる

    これらの伝えによって、牛は天満宮において神使(祭神の使者)とされました。どの伝えが元になったかを決められる記録はありません。

  3. 臥牛の像が決まって置かれる

    神使とされたことで、天満宮の境内には臥牛の像が決まって置かれるようになりました。資料が説明するのはここまでで、その像を撫でるという作法は含まれていません。

  4. 像が作り直される平成14年(2002年)

    道明寺天満宮で青銅の神牛が復興されました。像は受け継がれるだけでなく、あらためて作られることもあります。

  5. いま

    撫でて祈る作法は各社の案内に記されています。何を願うか、その牛を何と呼ぶかは、社によって違います。

牛の像と、その伝えがある神社

起源譚1社

現存する実践5社

注記

  • 一覧に並ぶのは、各社が社伝や境内の案内として記しているものです。牛にまつわる伝えが史実であることを示すものではありません。
  • 牛が神使とされた由来として伝えられる話はひとつではなく、どれが元かを決められる記録はありません。
  • 撫でるという作法そのものは、牛が神使とされた経緯を説明する資料の側には書かれておらず、社ごとの記録に現れます。一覧は同じ作法が各地へ広まったことを示すものではありません。
  • 道明寺天満宮の作法と青銅の神牛の復興は、同社の公式サイトの案内によります。
  • 道真の生涯と、牛が神使とされた由来は、それぞれ別のページで扱っています。

出典

情報最終確認日: 2026-08-27 / 社伝・伝承は、歴史資料で確定した事実とは層の異なる話として扱っています。 各社の記述は上記の出典によります。